乳がんでも楽しく生きる

両手と両足の指も生まれた時から
なくて、いじめも虐待も受けました。
性暴力被害で死にそうにもなった。

誰も助けてはくれなかった。

ひとりで抱えて生きてきたら、乳がん患者の刻印を押されてしまった。
全摘手術、治療は10年続く。
とても大変だ。

それでも——
時間は止まってはくれなかった。

泣いても笑っても、
同じように今日が過ぎていく。

だから残りの人生は、
「少しでも笑っていたい」って思った。

美味しい食事
仲間
家族
愛犬
その一つひとつが、
私の“生きる力”になっていく。

心の傷は、誰にも見えない。
でも、ちゃんとそこにあって、
とても痛い。

それでも、人は回復していける。
何度でも、やり直せる。

泣いても笑っても同じ人生だとしたら、
あなたは、どう生きたいですか?


私は心に傷を抱える人のそばで、
そのこころの痛みを力に変えるカウンセリングをしています。

カウンセリング・ご相談はプロフィールのLINE公式かメールから

 

両親からの性被害と虐待、先天性四肢欠損と口蓋裂、学校でのいじめを耐え抜いた先に待っていたのは乳がんという現実(実話)

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スレッズもやっているよ💛

「生まなきゃ良かった」と言われ続けた。それでも私は「生きてて良かった」と思い続ける。

私が生まれたその日。産科の医師や看護師たちは「おめでとうございます」の一言もなく無言で私を別室に運んだと母から聞いた。

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私が幸せになれるわけがないって思っていた。
でも大丈夫。あなたはきっと、一人じゃない。

私は先天性の四肢障がい・口唇裂があり、
これまで15回の手術をして、今に至ります。

手の指は中指・薬指・小指が数センチしかなく、
関節がなく曲げることのできない指もあります。

足の指も同様で短く左右の大きさが違い、
右足の一部は手術の後遺症で、痛い・痒い・熱いといった感覚がありません。

これまで、虐待やいじめ、差別。
色々なことがありました。

生まれないほうが良かったのかな
もう死にたいな

っていつも思っていました。

ずっとずっと、私が幸せになれるわけがないと思って生きてきました。

だけどそんな私は今、とても幸せに毎日暮らしています。
先天性の障がいがあっても、愛情に恵まれ、笑顔に満ちた家族と生きています。

今すごく辛かったり、悩みがある人、
人生を諦めてしまっている人がこれを読んでくれていたとしたら
どうかどうか、
希望を持ってみようと思ってほしいな

と思い、この記事を書いています。

 

人生は捨てたもんじゃないよ。
簡単にあきらめるもんじゃない。
負けないで
と私はみんなに伝えたい。

私の言葉が、あなたに少しでも、
届きますように。

「医者に頼んで殺してもらえ」と言われた私の誕生日

先天性の四肢障がい・口唇裂で生まれた私の状況を
父が祖母に説明したとき、祖母は
それなら医者に頼んで殺してもらえ
と言ったそうで。

このやり取りを私はお盆と正月に毎回祖母から、親戚が大勢いる中で笑い話として聞かされました。

いつもいつもその度に泣きたくなる気持ちを殺して、
「そう思うのも仕方がないことだったよね」
って本心とは逆の返事をしてやりすごしました。

祖母はいつも、
「お前のお母さんはお前が生まれたことでお前のせいで大変だったんだからな、ちゃんと親孝行せえよ」
って言いました。

…でもその母は、私の面倒はほとんどみてくれない人でした。

何度言われたかわからない「生まなければ良かった」

母がやらないので、昔から私の世話は全て父がしてくれていました。

食事の用意、通院の付き添い、お風呂…。

いつもテレビの前で横になり寝ていた母と、
公園に行ったことは一度もありませんでした。

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「なんで生んでしまったんだろう」
「生まなければ良かった」

ずっと、そう言われ続けて生きてきました。

一度だけ、
母が「泣かなかったら欲しいものを買ってあげるね」って
予防接種のときに言ってくれたことがありました。

私はとっても嬉しくて、痛くても我慢して泣かずに予防接種を受けました。

そうしたら、黄色いボールを買ってくれて。
私の宝物でした。

でもこのときだけ黄色いボールを、なんで買ってくれたの?
と以前に聞いた時、

「泣かれるとみんなが振り向いて
手がないことを気づかれるから」

という返事が返ってきました。

母は私の手をずっと隠したがっていたんです。

幼少期は世間の目を気にした母から、外で遊ぶことや友だちを作ることは禁止され、家の中で一人で遊んでいました。

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「(障がいのある)手を隠しなさい、足を隠しなさい、
手袋や靴下を履いていなさい

とずっと言われ続けていたので、

私は恥ずかしい存在なんだ
隠さないといけない存在なんだ

という認識が幼い頃からずっとありました。

さらに私の世話を押し付けられた父から、
性虐待と暴力が始まりました。

父が作る食事。
毎日私に渡すごはんには、お箸が垂直に刺さっていました。

下を向きながら歌った「幸せなら手をたたこう」

小学校に入ると、辛い場所が家以外にもうひとつ増えたように感じました。

手足のことが原因で、
グループから外されたり、席が隣になると嫌がられました。

じゃんけんで私の手ではグーしか出せないことをみんな知っているから、
毎回負けてゴミ当番は毎日のこと。臭い臭いと指をさされました。

音楽で「幸せなら手をたたこう」を歌う時、

母がいつもいない家で、父に殴られ蹴られ、
怒鳴られている自分の姿が頭に浮かびました。

さらに機嫌のいいときは、私の身体を触る父。

ちっとも幸せじゃない、なのに歌わなきゃいけない。

幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう

下を向きながら歌ったことを覚えています。

私の居場所はどこにもない、そんな中学校時代

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私はその後、小学校時代の子が誰もいない中学校に入学しました。

知らない人しかいない学校。
つまり、だれも私の障がいのことは知りません。

親から「障がいを隠しなさい」と言われて育てられた私は、
いつも手をグーにして、制服で隠して過ごしました。

ある日、「なんでいつも手を隠してるの?」と隣のクラスの友だちに聞かれました。

私にとってその子は大切な友だちだとおもっていたから、
「生まれつきなんだ」って正直に話をすると、
「そうなんだー」という答えが返ってきて、その話は終わり。

でも次の日から、私の学校生活が一変しました。

朝登校すると、仲良くお弁当を食べていたグループの子から、
「今日は一緒に食べない」と突然言われました。

その日から毎日、中学3年間。
みんながグループごとに丸くなったり、ワイワイ楽しそうにしているなかで
1人でお弁当を食べました。

先生に相談したこともあったのですが、
「もう小学生じゃないんだから、自分でなんとかしろ」って言われて、結局助けてはもらえませんでした。

ダンスの授業で「靴下を履かせてほしい」と伝えても受け入れてはもらえず、指を刺され足を覗き込まれて笑われました。

死ねと言われたり、ものを隠されたり。
机に花瓶が置いてあったり、注文していないバラ100本が届いたりしました。

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お弁当を食べるのも1人。
教室移動も1人。
家に帰れば、育児放棄の母と暴力的な父。

この頃、私の居場所はどこにもありませんでした。

全ての期待はなくなり、
私は1人でも大丈夫、と自分自身に思い込ませることでなんとか気持ちを保っていました。

かすかにあった自信すらなくし、自身の存在意義を失う母からの言葉

そんな学校生活を送っていた私の成績はどんどん下がっていきました。

今思えば、授業中勉強が頭に入る心理状態ではないし、成績が下がるのは当たり前です。

そんな私に母は、
あんたは何もできない子なんだから。ちゃんと生まれもしなかったし
って言いました。

この言葉を言われた時、私の心がぐちゃっと潰れた音がしました。

その言葉が私が生きてきた中で一番傷ついた言葉で、
私の中にあったかすかな光も、一瞬でその時に消えました。

もういじめられたくない、変化の高校時代

中学校から高校に上がるとき、私はもう二度といじめや陰口、いやがらせは受けたくない、そう思いました。

私がいじめにあう原因は何か?その時考えました。

1、障害
2、暗さ
3、体型
4、頭の悪さ

箇条書きにして考えた原因を、ひとつずつ潰していこうと思いました。

1番の障がいは変えることができないので、2・3・4を高校入学までに変えようと決意。

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1ヶ月で断食と運動をして8キロ痩せて、何を試着してもすんなりと服がはいるようになりました。

中学の勉強を全て復習し、髪型も変えまるで別人の姿で高校の入学式を迎えると、今まで話しかけてこなかった中学校のときからの友だちが、「痩せたね、痩せたね」って話しかけてきました。

初めて努力が報われたようで、とても嬉しかったことを覚えています。

中学の時はビリに近かった成績も、学年上位4位まで上がりました。

テレビで面白いことがあれば、
学校で真似をして、みんなを笑わせて。

安室奈美恵や相川七瀬の曲を一生懸命練習して、
友達と毎日カラオケに行った。

網タイツ履いて出かけたり、プリクラを撮ったり。
おしゃれをすること、遊ぶこと。

学校が楽しい、友達が楽しいと知ったのは高校からでした。

手足のことは気づかれていたと思うけど、この時もう指摘する友だちはひとりもいませんでした。

夫との出会い、本物の愛との出会い

とはいえ、その後も全てがうまくいっていたわけではなくて。

突然始まった、母からの性虐待。
他人からの性被害もありました。

さらに父親からの虐待のフラッシュバックにも苦しみ、せっかく就職した仕事に泣きながら通勤した日々。

でも、その心の痛みを理解して支えてくれた人がいました。
それが今の夫でした。

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夫と出会って、人に愛されることの幸せを初めて知りました。
結婚後は2人の子宝にも恵まれました。

誰からも強制されず、誰からも怒鳴られない、4人の家族。

支え合い、助け合い、笑顔がいっぱい。
本物の愛を夫と子どもたちから教えてもらいました。

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たくさんの傷を受けてきた人ほど、きっとずっとずっと強い。

これまで色々なことを乗り越えてきた私は、

人生は一度きりだから、周りに流されていてはいけない

最近、そう思うようになりました。

自分が気にするほど、自分は他人の目に写っていないし、
写っていたとしても障がいと人格を一緒にひっくるめて何かを決めつけてくるような人は、大人になっていくうちに徐々に減っていくことを知りました。

今、辛くて悩んでいる人へ伝えたいこと。

見た目で人を判断するような人を、
気にする必要は全くありません。

傷がついた心や身体は、傷がついていなかった状態には完全には戻らないかもしれません。

だけど、心というものは、
傷の修復のためにいろんな力が加わって、補強されて、
強くなっていきます

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私も当時は一日を生きることに精一杯でとても苦しかったけれど、
たくさんの傷を受けてきた人ほど、
とてもとても強いです

傷ついた経験が、時を経て
強くなった心に気づくことができる日が必ず来ます。

トラブルやマイナスな出来事には、
悪い面だけではなく、良い面もひっそりとたたずんでいて

タイミングを見計らって
Hello!!やっと気づいたね」って
顔を出してくれます。

だから、経験は宝物。

傷つけた側は、違った形だったり、
全く同じ形で学ぶ日が必ず来ると思っています。

だから、今が辛くても、
どんなことがあっても、
生かされている命を大切にして、今を生きていってほしいなと思います。

過去のトラウマや経験に、怒りや恨みをもつのはもうやめよう、
そう思うととても気が楽になります。

私はこれまでの経験があったからこそ、
この手足でうまれてきたからこそ、
今何を大切にしなければいけないかがわかりました。

経験は宝物です
これまでの経験がなかったら、今の私はいなかったのだから。

未来は自分で決めるもの。一番大事なものは「心」

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どんなことがあっても
何が一番重要かといえば やはり 心 なのではないか、と思います。

どんな苦労をしても
どんな障害を持って生まれてきても

心が荒んだり、ぶれたりしなければ、
寄り添って支えてくれる人もいるだろうし、
分かり合える仲間にも出会えます。

今現在は心の傷を癒す仕事をしていますが、死ねと言われていた私が、「ありがとう」と言われる人生に自分で変えることができました。

笑って生きるのも
人を恨んで生きるのも
同じ一生です。

未来は、自分が決めていくものです

学校が本当に嫌だったら、行かなくたっていいんです。
不登校であったとしても、大検に合格すれば大学にだって行けるし、通信で学ぶことだってできます。

大人になってから学ぶことだって十分できます。

ひとりじゃないよ。きっと、大丈夫。

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今悩みがあっても、
今度はきっと、それがあなたを輝かせる光となってくれます。

人は皆、何かを抱えて生きています。
みんな必死に乗り越えようとしています。

越えた時に初めて、あの経験は無駄じゃなかったと思えるのかもしれません。

私も、今まで支えてくれた夫へいつか恩返しができるように・・・。
家族が笑顔で暮らし続けられるように・・・。
そして悩んでいる人が少しでも減るように、

私は歩み続けます。

あなたもきっと大丈夫だから、希望を持って。
あなたは一人じゃないよ。

この文章が誰かの目に留まり、
差別や、いじめや、虐待や、人権侵害が少しでもなくなっていくきっかけになりますようにと願っています。

 

【乳がんサバイバー】過去の苦しみは「未来の幸せの土台」に変わる!人生観を変えた仲間と誕生日

10月1日、無事に誕生日を迎えられました!

乳がんになってから、3回目の誕生日を迎えられるなんて、思っていなかったので、こうして今、生きていられることが、心からうれしい。

 

私は、日常的な母からの虐待、父からの性被害、四肢欠損、乳がんなど、本当に生まれた瞬間から色々なことがありました。

「複合的サバイバー」なんて呼ばれたりもしますが、過去は悲しみや憎しみに満ちていて、「どうして私ばかり?」とずっと苦しんでいました。

そんな中での乳がんの経験は、私の人生観をガラッと変える、大きなきっかけでした。今回は、その変化についてお話しします。

乳がんのイメージ画像

全摘手術直後の様子を伝えるLINEのスクショ(夫側)
全摘手術直後 LINEのスクショは夫側

当たり前の日常がくれた幸せ

夫は私のために午前中仕事をめっちゃ頑張って、午後半休とって帰宅。

車に乗って二人でランチへ

和牛ハンバーグと珈琲

おいしい

家族写真のためにおやつで釣られている愛犬ゴールデンドゥードル
愛犬ゴールデンドゥードル

 

過去の苦しみは「未来へのジャンプ台」考え方を変えたXの仲間

新婚旅行の思い出の写真
新婚旅行

夫と出会ってからもう20年か・・・ってハンバーグを食べながら夫婦で話してた。

 

“経験は宝物”

 

今思えば、

過去の苦しみはぜーんぶ未来のしあわせを築くための「土台」だ。

 

どうしてそう思えるのか?

それは、X(旧Twitter)を通じて多くのサバイバー仲間と出会えたから。

 

苦しくて仕方なかった過去の経験苦しかった経験は、私たちを繋ぐ共通の架け橋となった。

どんどん仲間が増えて「生きててよかった!」と心から思えるようになっていった。

悲しみも、憎しみも、傷つける人への念も、持ち続けなくていい。

それらの痛みの経験を教訓と力に変えて、重い感情は捨て去り、思いっきり飛躍したらいい。

 

こう思えるまでに20年以上かかってしまったけど、

乳がんになったからこそ、考え方が変わったんだ。

娘、息子、夫、愛犬…家族の愛がくれるやさしさ

私が知らないところで、プレゼントを選んで、

包装して、絵まで描いてくれた娘。

バイトの帰りにアイスを買ってきてくれた息子。

私のために忙しいのに半休してハンバーグをご馳走してくれた夫。

家族写真のためにおやつで釣られている愛犬。

ありふれた当たり前の日常が、ありがたくてしあわせなんだよね。

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