性的暴行被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

医大生らの逆転無罪判決や父親から実の娘への性的暴行で無罪主張した事件報道によって蘇る記憶

私が学生時代に起きた性的暴行被害。

連日の事件の報道等で過去の記憶が蘇る。

昔の話だからもう完全に忘れられたかと言われれば、それはない。日常でそれについて泣くことはなくなったが、私の脳内には消すことのできない記憶として残ってはいる。

性的暴行被害にあった経緯

母から性的虐待を受けて数週間後、母が「ボランティアでもいいから仕事を教えてやって」と勝手に頼んだお店のバイトをすることになった。
社長の奥さんから、私の「誕生日のお祝いをするから来て」と言われたのでそこに行った。そこには社長夫妻と私以外にもう一人女性スタッフもいた。私は疑うこともなく現地に向かった。
しばらくして、その女性スタッフだけが家に帰ることを許可され、私は帰ることを止められた。
その女性スタッフが帰った後、私はお酒をたくさん飲まされた。テキーラとか最初から私を襲う気だったんだろう。途中から私の嫌な予感が作動して「帰ります」と言ったけど、帰らせてもらえなかった。すでに準備されていた布団に、背後から背中を蹴られ倒れ込んだ。
手首を縛られ、夫婦二人がかりで私の体を弄り朝まで襲われ続けた。社長が襲う私の姿を社長の奥さんが撮影した。

続く加害者からの脅迫

バイト代もちゃんと支払われたことはなかった。「契約書を交わしていないから、働いたことになってないんだよ。お前のお母さんがボランティアって言ってただろ。ボランティアにはカネは出さないんだよ」と笑われた。都合よく働かされ、体を汚され、恐怖しかなかった。私への扱いはモノ以下だった。

「もうバイトに行きたくない」と母に伝えても母は「時給が高いんだから行きなさい」といって辞めさせてくれなかった。(交通費込みで時給千円といわれていた)早くに私の異変に気付いてくれていれば、こんなに苦しまなくて済んだのに。と今でもそれは思う。

大人が助けないで、こどもはどう対処したらいいのか。当時は労基法・民法・刑法があることも知らない私は、恐怖の中で息を殺して生きていたんだ。

どれだけ怖くて、どれだけ苦しかったか。

きっとこの恐怖は経験した人にしかわからない。

加害者に「もうバイトに行きたくないです」と言えば、「いいよ、契約違反で訴えてやるから」と脅され続けた。「口約束も契約のうちだ」と都合のいい時だけそう言われた。それが脅迫だということもわかっていなかった。なぜなら、両親からずっとそのような言葉で私は従うことを強要されて生きてきたから。

「大学の定期試験があるからバイトにいけません」と言い続け、3か月間という約束の期間が終わるまで残り数週間、耐え忍んだ。

下手をしたら訴えられる。もしくは命に関わることになる。それぐらいの脅迫をする人だった。親の奴隷で生きていた過去の私には、逆らうことなど考えることはできなかったのだ。

約束の3か月間が終わり、「写真を消してほしい」と内容証明で送ったら、「削除はしません。楽しい思い出として一生保管します」と内容証明で送られてきた。自分の部屋でこれを読んだとき、私はあまりのショックで気を失って倒れた。親は私に無関心で倒れたことすら気づいていなかったけど。この写真は障がいのある手足も撮影され、お店商品の宣伝に使われていたから、それも含めて消すようにお願いしたが、聞いてもらえることは無かった。

なぜ警察に行かなかったのか

警察になぜ行かなかったかと言えば、警視庁の被害者センターで「加害者が2人で複数の場合は親告罪ではなく、警察に行った段階で事件として扱われる」と教えてもらったから。

警察や相手の弁護士が私の写真を見ることになること、どんなことをされたか、どんな状況で何をさせらのか、たくさんの人の前で再現しなければいけない。言われたくないことも、聞かれたくないことも、たくさん聞かれると知った。

それに相手が逮捕されても数年で出所する。その後の報復の方が怖くて仕方なかった。当時の私にはそれを想像しただけで震えが止まらなくなり、過呼吸になった。

心の傷が癒えていないのに、見知らぬ多数に被害状況を話せる程、当時の私はそんなに強くはなかった。

被害から20数年経った今でも加害者の住む沿線の電車には未だ乗るのに少々心が乱れる。

夜は必ず夫が居ないと外は歩けない。

耐えることで生き延びられると思ってた

私の場合に関して、この性被害にあったのは、両親から日常的に虐待を受け、泣けば「うるさい」「それぐらい我慢しなさい」と言われ続けて育ち、「耐えること」で生き延びることしか手段がないと思い込んでいたから。

心に傷を負うと、その傷が癒えるまで同じようなトラブルが人を変え状況を変えやってくるようになる。私はそうだった。

やめてはNOだということ

「やめて」と言った時に「やめてもらえる」という経験を私はしたことがなかった。幼い時から自分の感情を殺して生きなければいけないと自分に課していたから。

他人を傷つける人というものは、人を思いやる気持ちなどないんだよ。

「やめて」は拒否の意思表示だ。普通の人間関係でも「やめて」ということなどそうあるものじゃない。NOだ。

自分の愛する誰かの身に起きたら同じこと言える?

同意って何

抵抗の有無って何

 

今回の判決だと私も同意したことになる。

自分から家に行ったから。撮影をされたから。

 

私はしたくてしたんじゃない。されたくて行ったんじゃない。撮影も何もかも私は同意していない。悦んでもいない。これは同意じゃない。

私の母親は「よかったじゃない」と言ったんだ。「あんたはかたわで経験できないだろうからね」とね。「複数でするのが望みだけど普通出来ないよね」と笑ったよね。「でも気持ち悪い、あんな人と」と言ってきた。

気持ち悪いことを最も自覚しているのは、被害にあった私のほうだ。

私は本当の事しか話していない。

最低な親と加害者たちだけど、私に学ばせるという意味では、壮絶な人生を全て乗り越えて、自分が生きてきた経験を発信している今、

私を傷つけた人たちは、相当の大役を果たしたんだと思う。

性被害は、ただただ早く私を解放してほしかった。妊娠と病気が怖かった。写真は二の次だった。

この苦痛、経験していない人にわかるわけない。

 

同意って何

抵抗の有無って何

 

被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

 

 

頑張って生きてきてよかった

学生時代に性被害にあった時、強い恐怖心から相手を訴える気は起きず、ずっと一人で耐えてたけど、今の夫と出会い、彼のすすめもあり、当時あった警視庁の被害者支援センターへ、一緒に相談に行ってもらったことがある。

そこでは、訴えるとどれだけの期間 裁判に時間を費やすことになるのか、どのくらいの服役で相手は出てくるのか、裁判中の相手の弁護士などからの聞かれたくないような質問など、予想できるいろんなことを教えてもらった。

当時の私はもう仕事に就いていたし、彼との未来を加害者たちから壊されたくなかったから、訴えることをしなかった。加害者の出所後の報復のほうが恐ろしいと思ったから。それに相手は素直に罪を認めるとは思えなかったし。

今まで生きてきて、何も仕返しも反撃もしたことはなかったけど、20年以上前の被害経験を今回公表したことで、私の中でも完全に終わりにできた。

一番は、私の言葉が届いて、生きようと思ってくれた方がいると知り、悲惨な経験を超えて今を生きている私自身に、生きてて良かったねって思えている。

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