虐待の心の傷もこんな風に癒える日がくるんです

私のインナーチャイルドヒーリングセッションを受けてくださった方のご感想です🌟

虐待の心の傷もこのように癒える日がくるんです🌟

 

おはようございます
まな さんすごいです
今まで受けたいろいろなセッションで一番素晴らしかったです。
私の根本にあったインナーチャイルド癒してくださり、ありがとうございます

昨日お風呂に入っていたら母親と父親が喧嘩をしていた時の辛い インナーチャイルドが出てきました

母親を、かわいそう 守ってあげられない そこから自分の自信のなさが生まれてました

まなさんがセッションでやってくれたように 自分なりに 癒しました

びっくりでした!
両腕のところに黒い痣があって、
「それどうしたの?」と聞いたら 幼い頃の〇〇ちゃんが
「私が悪い子だから お父さんが ぶ つんだ」
と教えてくれました。

自分の中からそんなワードが出てくるなんて びっくりでした(びっくり)

きっとまだまだたくさん インナーチャイルドがあるんだろうなと思ってます…
とりあえず しばらくは 今の変化を観察してみようと思ってます

その後は…もしかしたらまたまなさんにお声掛けするかもしれません。

この度は素敵なセッション ありがとうございました!

私のセッションを受けてくださってありがとうございました🌟

みんなでしあわせになりましょうねっ💛

 

セッションの詳細はこちらから

 

 

・・・・・・・・・・・

次のイベント出店は 「ぶち癒しフェスタ東京 7月20日 浅草」で出店します。

またレアな天然石を販売します。

イベント価格でインナーチャイルドヒーリングセラピーと前世療法、

オラクル、タロット、ヒーリングをします お楽しみに♪

 

【意識が現実を作り出す】マルシェ2日間と江ノ島ツアー後の私の変化

この3日間の変化をマルシェと江ノ島ツアーについて、
投稿してみようと思います。

マルシェ後からセッションの予約がたくさん入り、
今日この時間しか投稿にかける時間がありません。

一気に書きたいと思います。

6月1日 出店日

私は出店者のみんなが受けた
マルシェの紹介ズームに出ていません。

それはボランティアの仕事があったからという現実と、
出たくないという潜在意識が交錯したためです。

欠席者の紹介にも私はいませんでした。

出たくないという潜在意識が勝ったからです。

これも私がこの現実を引き寄せました。

私の人生は、生まれた瞬間から人と違って生まれたことにより、
あからさまな批判、否定というものは日常的にありました。

親からもクラスメイトからも公務員という職業の人たちからも。

そして、私がしあわせと思うことがあると、

誰かが必ず私の人生の邪魔をする

そんな人生を歩んできました。

ずっとそれは変えることのできない私の宿命なんだと、

私は自分の人生に制限をかけて生きてきました。

【私は嫌われている】

そう自分に思い込ませて生きてきました。

マルシェの前は、私のいない所で私の話題がよくない意味でだされる状況が一部でありました。いわゆる嫉妬です。

他にも様々なトラブルがあったり、年下から「あなたのために言わせてもらいました」と明らかに相手がおかしいのに上に立たれたり、知名度が低いのに宣伝が多いと言われたこともあり、

気にして投稿もしなくなったし、マルシェ紹介ズームにも出られなくなったのです。

また私を見てみんなが笑う、

そう心のどこかで恐怖心があった。

正当な主張だとしても、言いなりにならなければ批判を受ける。

出る杭は必ず打たれる、

長い物には巻かれていなければならない。

幼いころからそんな思考を持っていました。

6月1日のマルシェ出店日

私は無意識の領域の中で、このマルシェに出たら人生が変わると思っていた。

自分の人生が変わることに恐れがあった。

だから当日のあれだけのハプニングを引き起こした。

流れに乗っていけば楽なのに無意識の領域で抵抗した。

人生が変わることに抵抗していたのは、そう、私だけ。

私のお手伝いに来てくださったお二人は、関東の方ではない。

北海道と福井県からわざわざ来てくれていたんだ。

もうこの時点で私は嫌われていない。

このお二人を見た時、今日一日なんとかやり遂げよう。

遠くから私に会いに来てくれる仲間のためにも

恩返しのために頑張ろうという気持ちしか正直なかった。

だが、ふたを開けてみると、私は知らなくても、

私を知っている方がたくさんセッションの申し込みに来てくれた。

ICHの仲間もたくさん来てワークショップや天然石を買いに来てくれた。

人が途切れることがなかったのだ。

誰かが必ず私の周りにいてくれた。

私を見かけるや否やmanaさーん☆とみんな笑顔で私に接してくれた。

マルシェでわかったのは、私を嫌っているのはほんのわずかしかいということ。

そのわずかな人も、私のことが気になるから話題となって悪口を言ったりするということ。

心の底から私を嫌っているなら、私の名前すら口に出したくもないはずだ。

それなのにその一部を気にして自分の行動を狭めてきてしまったと気づいた。

「あれ?わたし好かれている」

と気づいた瞬間から大量のお客さんの嵐。

大きなブースを借りても椅子を増やしても足りないほどのお客さん。

自分の意識が現実を作り出す。

これを身をもって体感した2日間でした。

冒頭にあるように私は紹介ズームに出演してはいないのです。

なのにこういうことが起きたのです。

結果、私たち親子のブースの売上は1位だそうです。

これは自慢ではない。

いろんなことを周りから言われてきた私の人生、

このマルシェで結果を出すから、見ていてと

私は夫に前々から宣言してきたことが

有言実行できた自分と娘に拍手を送りたいのだ。

頑張った自分をほめたいだけだ。

 

私は何を気にして、誰に遠慮して今まで生きてきたのだろうか。

誰の言葉に支配され、誰の人生を生きてきたんだろうか。

人は死に向かって生きているのに、

命の時間は有限なのに

人生の無駄遣いをしてきてしまった。

ほんとにね

そう思った2日間でした。

 

6月3日

江ノ島ツアーで気づいたこと

出発の朝、小田急線で遅延が起きていた。

集合時間に間に合うかわからない状況だった。

少し早めに家を出て片瀬江ノ島に向かった。

遅延がある中、藤沢を出発しました

と友達に伝えたら、「同じ電車に乗っています」と

現地に向かう全員が同じ電車に乗っていたという奇跡。

私達は友人の案内で宇宙龍に会ってきました。

そこでみんなで輪になって大地からのエネルギーを感じたり、

龍のエネルギーを感じたりしました。

その後、瞑想したら私は龍の背中に乗って光の源まで飛んでいきました。

長い時間、龍と共に空を飛んでいました。

これからもっと忙しくなるよ

歌手のある方と対談することになるよ

やっときてくれたね

ずっと待ってたんだよ

と宇宙龍から話しかけられながら。

そして瞑想が終わって立ち上がって歩いていたら

なぜかコケて岩にしりもちをついた。

しりもちをついただけでなく

乳がんの手術をした側の手をつき、激痛で動けなくなった。

私のいらないもの、

いらない感情を捨てる

と決めてヒーリングと共に縁を切ると決めた。

ヒ-リングを終わった私を見て、仲間のみんなが「虹色に輝いててまぶしい」といってくれた。

同じ人間でもそんな風に変わるんだって嬉しかった。

私は「なんだか人生が変わりそうな気がする」とつぶやいた。

そしたら「もう変わっているんだよ」ってみんなに教えてもらった。

私の人生はもうすでに変わっている。

私を邪魔する人の念は受け取らない。

私を悪く言う人との縁は切る。

私は私の人生を生きる

と宇宙龍を前に宣言した。

そのあと、お参りしていて不動明王にあったときは、

ガンガン耳の周りで音が鳴っていて

私にまとわりつく念を炎で焼く尽くしてもらったようだった。

終始、頭頂部から上に引っ張られている感覚があって、ぽわぽわしていた。

江ノ島のエネルギーはほんとに強かった。

宇宙龍で宣言して帰りの電車の中で、正規料金のセッションの予約が入った。

引き寄せが早いと思った。

帰宅して自宅のポストをみたらGoogle AdSense から一通のお手紙。

私のホームページの広告収入のお知らせだった。

そして宇宙龍の翌日、私を悪く言う人への制裁が私以外の人から起きた。

オープンチャット内で「ズーム中の悪口はよくないですよ」という感じの名前は出さずとも公開処刑があった。

そんな制裁が起きることは想定もしていなかったから、早いと思った。

 

いらない感情や思い込み、人を手放すことで、必要なもの・人・豊かさが入ってくると気づけた3日間でした。

私は愛されている。

私は豊かさを受け取る。

私は自分の人生を生きる。

江ノ島ツアーに誘ってくれたみんな本当にありがとう

ステージアップの瞬間を体験させていただきました。

貴重な経験をありがとう💛

 

母親に言われて嫌だったことば

①「虐待なんてしていないわ、
 
私は一度も叩いたことなんてないでしょ、
 
裁判で、でるとこでてもいいわよ」といわれた言葉
 
 
②「あんたは遠目からなら、ちっとは可愛く見えるから
 
みんなをごまかせるね」という言葉
 
③全く反省していない両親の態度
 
この3つについて、内省と自己ヒーリングをした。
 
テーマ
母親に消えてほしいと思う憎しみの気持ち
 
胸に穴が空いている=私にお金がたまらなくなる穴 
 
母親が私につけた=カネでコントロールをしてくる目的で母親が私につけてきた
 
左端、肋骨下 爆弾=憎しみの気持ち
 
ずっとあると、ずっと私の憎しみによって消えてくれと願うようになる
 
なくなれば意識下から外れて、どうでもよくなる
 
穴は外すと決める=お金が貯められる
お金でコントロールしてくる母親を排除できる
 
外して母親へ返却
 
父親母親をイメージの中で◯あぶり
 
私が幼少期チャッカマンで火を近づけられたり、タバコの火をあてられたように、火をイメージの中で使った
 
イメージの中で親をボコボコにした
 
黙った 静かになった
 
私の怒りや憎しみを両親へ
イメージの中で表現した
 
これは全て私の潜在意識の話です
イメージの中での話です。
こんなこと実際にはやっていません。
 
修復ヒーリング
やっぱり親に一緒でも期待するのはやめよう。自分の人生は自分のもの。
親という名前がついているだけで、普通の人間関係なら絶対関わらないような人間たちだということ。
 
 
 
さらに深堀りしてみた
 
強い憎しみ
全身にある
黒いゴム製が私の体にまとわりついている
旅行事故
母親からのコントロールスイッチがまだ私の体に入ってた
 
はずした
母親へ返却した
 
私の学びを終え、両親も役目を終えた
 
旅行好きの両親は水難事故にあう未来が見えた
 
虐待を認めないことも、私の容姿に口出したことも、両親が反省しないことも、
 
私の問題ではない。
 
私の生きる道の外の話だ。
 
外野が騒音をまき散らしているだけだ。
 
巻き込まれて、憎しんでいるほど無駄な時間などないんだ。
 
憎しんでいると書こうとして、肉親と変換された。
 
あぁそうだね、そういうことだねと理解した。
 
 
自己ヒーリングやってみました。
エネルギーブロックを外したから、憎しみのエネルギーに変化があるといいな。
もう起きてる気もするが✨

昨日両親と話したこと

昨日両親が我が家に来た

かなりの時間話をした。

母親が私の息子に「学費は親の責任だからね。もし学費に困ったらmanaとmanaの旦那が私たちに頭を下げに来ることだからね」と誰も学費の援助などをお願いしてもいないのに、しかも息子に上から目線で母は言ったのだ。

今までの私なら黙っていただろう。

でも昨日の私は違った。

私:責任ってなに?私はあなた達と絶縁してきた12年間、私一人で子供2人の責任は負ってきた。2人の子どもの生命の責任も負ってきた。そんなこと言われなくてもやってきたことだ。それを言えるのはきちんと子育てをした親が言う言葉だ、と。

あなた達は性的虐待をし、暴力をふるい、生まなきゃよかった出来損ないと言い続けた。いやらしいことしか私に教えなかっただろ。お前たち親として何の責任を取ってきたんだよ

今、世間では性的虐待をした父親はみんな逮捕されてるだろ。同じ事やってきただろ。私のいじめ対応も一度もしない、手が気に食わないからと高温のアイロンで焼き、生まれつきの障害についても「恥ずかしいから隠しなさい」「恥ずかしいから外に出るなと何年も家に閉じ込めただろ」「恥ずかしいのは母親の問題だろ」「自分がかわいいからって私を巻き込んできただろ。私が親になって公園に連れて行かなかった母親の異常さがよくわかったわ」生んだ責任すら取らなかったやつが、どの立場で物を言っているんだか。

と私が言ったら母親は

私は虐待なんてしていない。アイロンで焼いたというなら私が焼いた証拠を出してよ。公演に連れて行かなかったことだけは悪かったけど、でも私はあなたを愛しているのよと言ってきた。

認知症か、嘘をつくたびに本当のことのように書き換わっているようだった。

そのやり取りを聴いていた私の息子が言った。

「いや、やったことはありえないことですよ。やってないと言ってもやられた方は覚えています。それにお母さんがおばあちゃんの言葉でどれだけ傷ついてきたか僕はずっと見てきたから知っています。おばあちゃんがお母さんにひどいことをするたびにお母さんは(喘息発作で)病院に行っていました。警察にも整形外科にも行っていました。やっていないといっても病院に行った証拠があります」と。

母はアイロンで焼いたんじゃない、手術をしたからてのひらが伸びないんでしょと、手術をしていない側の右手を手術したと言い張った。

そしたら、息子と娘から「お母さんの右手は手術あとすらないですよ」と突っ込まれていた。

母親は絶対に虐待もアイロン焼きも認めなかった。

だけど私は親はそういう人だとわかったうえで話をしていたから、

「やってないと思っていればいいんじゃない?私はやられたと思っているし、母親の言いなりで人生を無駄にしてきたと思っているから」と。

人それぞれ意見の相違というものはあっていいんじゃないの?と。その相違を正す人たちが裁判や訴訟を起こすんでしょ?と。

私は癌にもなって残りの人生を訴訟で時間無駄にしたくないから意見の相違ってことでいいよと伝えた。

長くなるからはしょるけど、今まで思ってたことのすべてを伝えた。

でも何一つやっていないと言っていた。父親は話の途中で「めんどくせえことしか言わねえなら帰る」といって母を私の家に置き一人帰っていった。

息子が「こんな大切な話をしてるのになんなんだ、じじい」といなくなった後言っていた

息子が私の母親に「僕はおじいちゃんおばあちゃんがずっといなかったんですよ。友達は皆これ買ってもらった、ハワイに連れて行ってもらった、お年玉何万もたまったとみんな言ってました。でも僕らはおばあちゃんがお母さんを傷つけたことで10年以上、とくに妹は生まれてから一度も会ったことなかったんですよね」といった。

私の母は泣いていた。私には泣くなうるさいと言い、育ててきたのにね

そして息子が私の母へ聞いた

「おばあちゃんは小さいころしあわせでしたか?」と。

母は言った

「私はしあわせだったわよ」と

私が聞いてみた

「お母さんは男の子として生まれなかったから名前も付けてもらえなかった」と言ってたよね?と

そしたら思い出したかのように母は過去の話をし始めた。でも幸せだったわよと言った。

私の息子が間髪入れずに告げた

「おばあちゃん、そうやって覚えていて話してるってことは無意識化で傷ついているからです。愛してほしかったのに叶わなかったから、僕のお母さんを使ってきたんじゃないですか」と。

ええ・・・こんなにインナーチャイルドを知っているとは息子よ。随分と立派に育ってくれてとても嬉しかった。

私の母は言い返せずにまた泣いていた。

私は言った

「お母さんは自分の思い通りに私を利用してきたよね?職業選択の自由の中、自分で仕事を選んできたのに、私に毎日会社の愚痴を聞かせてきたよね。私の友達や親せきにも私のやってないことを言いふらして孤立させてきたでしょ。それ全部お母さんの問題だからね。会社だって仕事と言って仕事してなかったし(不倫)」と言ったら母が

manaは悪いけど薬飲んでたでしょ性被害にあったとき。あんたの話は記憶違いがあるのよと言ってきた。

私を傷つけたかったのだろうけど、私の性被害の話は息子も含め家族全員が知っていることで、今もこうやって世の中に発信しているので、母の思惑は失敗に終わったww

それを聞いた息子が「お母さんは傷つく人が減るようにどんだけがんばってくれているのか、おばあちゃんは知らないからそうやって言えちゃうんですよ」と言った。

息子は、「僕は困ったことがあったら、なんでもすぐお母さんに言ってきた。最近は困ることもないから言わないけど、おばあちゃんにお母さんが癌になったことも話さなかったのは信用されることをしてこなかったからだし、そもそもコミュニケーション不足ですよね」と言ってた。

「ママ初めて言いたいこといえたんじゃない?言った言わないやったやらないなんてもうどうにもならないんだし、このままだと終着点がないままだから、最後握手して終わりにしたら?」と息子に促され、母と握手をして帰らせた。

私は43歳にして思いのたけを初めて全部自分の言葉で言えた。

それに母親の冒頭の「責任」という言葉は知り合いの言葉を真似していっただけだそうで、「そうやって他人の言葉を鵜呑みにして一時の感情で物事を発信して周り巻き込んでぐちゃぐちゃにするようなこと、そこをやめない限り、来世、生まれ変わっても、また同じように人間関係で苦しむことになるからね。そろそろ気づけよ」と余計なお世話を言っときました。

「私は今も昔も親から愛されたいと思ってた。でも叶わないから自分たち家族で必死で生きてきた。もし学費に困ったらあなた達に頭を下げずに、学資ローンをくみますよ。人に頼らず依存せずに生きてきたから、自分たちでなんでもできちゃうからね」とも伝えた。

私が怖くて従い続けた親は、都合の悪い部分の自覚は皆無だった。

ならば、生きたいように生きればよかったね私、と思った。

だけど、私は言いたいことのすべてを泣かずに言葉に詰まることなく言えた。

何も怖くなかった。

それと、いじめから息子を守ってきたことが私に戻ってきて

とても嬉しかった。娘も私を守ろうとしてくれた。ありがたかった。

 

親が認めないなら私は世の中に発信するのに好都合です。

だって私が話してるって思わないだろうから。

 

親のことをいう自分への罪悪感が全部消えた(*’▽’)

 

今日も母とのやり取りをしていますが、いたって普通です。

私にとって母がどう生きようが、死のうが母の問題であって私には問題ないからです。

過去のように、絶対縁を切ってやるとか、無視をしようとか思ってないんです。

聞かれたことにこたえるだけ、普通の人間関係を送ると決めただけだから。

言ってはいけない言葉をいう親

昨日、両親が家に来た。

親ってほんとに学びのための脇役、キャストだね。

もう生きている波長や波動が
彼らと私は違うところにいる。
二極化ってこういうことなんだとまた学んだ。

虐待防止や性暴力禁止、
心の傷の回復への活動を
親に遠慮なくできるという決心がついた。

母親へも直接宣言した。
私はあなたたちのがやったような
子どもを傷つけるようなことを
この社会からなくしたいからと。

なんのことか、わかっていないようだったけど。

四肢障害についても、
「恥ずかしいから隠しなさい」と
幼少期ずっと母が私に言ってきていたことも

「恥ずかしいと思っているのはお母さんでしょ」

「見た目だけで判断して、家の中に閉じ込めて
私に対してものすごく失礼なことを
してきたってことだよ」と伝えた。

とにかく私は私の意見を
親の軸に左右されることなく
感情をあらわにすることなく、
我が子を前に、両親へ伝えた。

未熟な親が露呈していた。

この話は簡単に表現できないや
何時間も話したし、
「虐待したのはお父さんよ、
私は殴ったことも一度もないわ」と母は言い、

父親は性虐待の話を
「めんどくさいこというなら帰る」といって
母を我が家に残して消えていった。

しまいには母は
「あなたは性被害にあった時薬を飲んでたでしょ。
あなたの記憶は定かじゃないのよ」と

私の子どもたちに性被害を暴露して
私を黙らせようとしたつもりみたいだが、

私の子どもたちも、夫もみんな知ってることだし、
自ら私はこうやって世の中に発信しているわけでww

私の息子に私の両親は

「僕のお母さんに二人がやったことは
ありえないことですよ。

やってないといっても
やられた方は覚えているものですから」

と指摘されていた。

息子が人として立派に育った
ということを垣間見れた。

これは良い本が書けそうだ(*’▽’)