こころの痛みを力に変えるカウンセリングを受けてくださった方の声

私のセッションを受けてくださった方からのご感想を掲載します。

掲載許可をいただきました♪

manaさんのこころの痛みを力に変えるカウンセリングが凄すぎた件

発端は、友達にメール鑑定をしていただいた 最後のメッセージでした。

「ところで… mana さん、、、あの方のセッション受けるといいと思いますよ〜」

とても軽いノリでご紹介いただいたのですが、こういう時に来たサインを大事にしようと思い、即日申し込みました。

私が、ちょっとハードな内観期に突入していたのも大きな理由でした。

詳細は控えさせていただくのですが…
感想だけお伝えさせていただくと、
今までで一番変化を感じました。

manaさんは、直感能力などもあると思うのですが、基本はそういうものには頼らず、私自身の言葉をとても大事に、深く深く掘り下げてくださいました。

それらの言葉は、自分の中から出てきたので、
それ故に、
どんなチャネリングメッセージよりも、
私自身に響いたのかもしれません。

セッションを終え、、
呆然と立ちすくむ 私に出てきた感想は、

これこそが本物のセッションだ…
人を変えるセッション…(!!!!!)

心の奥底の
とても深い部分で
静かに静かに
感動してました

その晩、お風呂に入ってたら、また私の別の幼少期に傷ついた自分が出てきました。

小さな私は、両腕に黒い痣があって、、、

私「その黒いあざ どうしたの?」

小さな私「私が悪いから、お父さんがぶつの」

(省略)

私「それがあるとどんな気持ち?」

小さな私「恥ずかしくて、人に見せられないんだ」→これが私の自信のなさの根源

一緒に ヒーリングをしました。

私「アザなくなって、どんな気持ち?」

小さな私「もう恥ずかしくないよ、ピカピカな私」(はにかむように嬉しそうに、両手を空に掲げて)

 

この感覚は私とセッションをしたmanaさんにしか分からないのかもしれませんが、、

私の口から、こんな言葉たちがこぼれ落ちてくるのに驚きなんです!!
両腕にアザなんかないし😅

そして、セッションの最後に、小さな私が言ってくれました、、

「大人の〇〇ちゃんも、幸せになってね」

すごいパワーワードでした

当時小さな小さな体で、自分を犠牲にしてでも周りのことを考え、一生懸命生きてくれた小さな私

その私からのお願い

彼女の願いを無下にすることはできません

「しあわせになる」

そう心に誓った瞬間でした。

夢みたいな体験を終え、
現実に戻って、障害児育児をしてたのですが、
そこに、もう被害者意識はありませんでした。

こんな気持ちで子育てするの、初めてかもしれない。

そしてさらに驚いたこと(気付いたこと)は、
こんなフラットな愛ある子育てを、今まで旦那は横でずーっとしてたんです…!!!

うちの旦那は幼少期の心の傷がないと思ってるんですが…
自分の心の傷がなくなった時のあり方が、今の旦那と似すぎてて、、

幼少期の心の傷がないと、こんな風に現実を受け止め、子育てできるんだ!!

そこでも答え合わせをさせていただいた気分です。

この度は貴重な時間をありがとうございました。

必要な方に このメッセージが届き、
癒される方が増えますように✨😌✨

そしてしばらくして息子さんの変化があったそうでさらにご感想をいただきました✨

破壊型多動系、息子(重度障がい児の末っ子)が、変わった話✩⡱

・・・・転載おわり・・・

 

素敵なご感想をありがとうございました(*^-^*)

みんなもしあわせになりましょうね💛

 

 

・・・・・

 

昨日両親と話したこと

昨日両親が我が家に来た

かなりの時間話をした。

母親が私の息子に「学費は親の責任だからね。もし学費に困ったらmanaとmanaの旦那が私たちに頭を下げに来ることだからね」と誰も学費の援助などをお願いしてもいないのに、しかも息子に上から目線で母は言ったのだ。

今までの私なら黙っていただろう。

でも昨日の私は違った。

私:責任ってなに?私はあなた達と絶縁してきた12年間、私一人で子供2人の責任は負ってきた。2人の子どもの生命の責任も負ってきた。そんなこと言われなくてもやってきたことだ。それを言えるのはきちんと子育てをした親が言う言葉だ、と。

あなた達は性的虐待をし、暴力をふるい、生まなきゃよかった出来損ないと言い続けた。いやらしいことしか私に教えなかっただろ。お前たち親として何の責任を取ってきたんだよ

今、世間では性的虐待をした父親はみんな逮捕されてるだろ。同じ事やってきただろ。私のいじめ対応も一度もしない、手が気に食わないからと高温のアイロンで焼き、生まれつきの障害についても「恥ずかしいから隠しなさい」「恥ずかしいから外に出るなと何年も家に閉じ込めただろ」「恥ずかしいのは母親の問題だろ」「自分がかわいいからって私を巻き込んできただろ。私が親になって公園に連れて行かなかった母親の異常さがよくわかったわ」生んだ責任すら取らなかったやつが、どの立場で物を言っているんだか。

と私が言ったら母親は

私は虐待なんてしていない。アイロンで焼いたというなら私が焼いた証拠を出してよ。公演に連れて行かなかったことだけは悪かったけど、でも私はあなたを愛しているのよと言ってきた。

認知症か、嘘をつくたびに本当のことのように書き換わっているようだった。

そのやり取りを聴いていた私の息子が言った。

「いや、やったことはありえないことですよ。やってないと言ってもやられた方は覚えています。それにお母さんがおばあちゃんの言葉でどれだけ傷ついてきたか僕はずっと見てきたから知っています。おばあちゃんがお母さんにひどいことをするたびにお母さんは(喘息発作で)病院に行っていました。警察にも整形外科にも行っていました。やっていないといっても病院に行った証拠があります」と。

母はアイロンで焼いたんじゃない、手術をしたからてのひらが伸びないんでしょと、手術をしていない側の右手を手術したと言い張った。

そしたら、息子と娘から「お母さんの右手は手術あとすらないですよ」と突っ込まれていた。

母親は絶対に虐待もアイロン焼きも認めなかった。

だけど私は親はそういう人だとわかったうえで話をしていたから、

「やってないと思っていればいいんじゃない?私はやられたと思っているし、母親の言いなりで人生を無駄にしてきたと思っているから」と。

人それぞれ意見の相違というものはあっていいんじゃないの?と。その相違を正す人たちが裁判や訴訟を起こすんでしょ?と。

私は癌にもなって残りの人生を訴訟で時間無駄にしたくないから意見の相違ってことでいいよと伝えた。

長くなるからはしょるけど、今まで思ってたことのすべてを伝えた。

でも何一つやっていないと言っていた。父親は話の途中で「めんどくせえことしか言わねえなら帰る」といって母を私の家に置き一人帰っていった。

息子が「こんな大切な話をしてるのになんなんだ、じじい」といなくなった後言っていた

息子が私の母親に「僕はおじいちゃんおばあちゃんがずっといなかったんですよ。友達は皆これ買ってもらった、ハワイに連れて行ってもらった、お年玉何万もたまったとみんな言ってました。でも僕らはおばあちゃんがお母さんを傷つけたことで10年以上、とくに妹は生まれてから一度も会ったことなかったんですよね」といった。

私の母は泣いていた。私には泣くなうるさいと言い、育ててきたのにね

そして息子が私の母へ聞いた

「おばあちゃんは小さいころしあわせでしたか?」と。

母は言った

「私はしあわせだったわよ」と

私が聞いてみた

「お母さんは男の子として生まれなかったから名前も付けてもらえなかった」と言ってたよね?と

そしたら思い出したかのように母は過去の話をし始めた。でも幸せだったわよと言った。

私の息子が間髪入れずに告げた

「おばあちゃん、そうやって覚えていて話してるってことは無意識化で傷ついているからです。愛してほしかったのに叶わなかったから、僕のお母さんを使ってきたんじゃないですか」と。

ええ・・・こんなにインナーチャイルドを知っているとは息子よ。随分と立派に育ってくれてとても嬉しかった。

私の母は言い返せずにまた泣いていた。

私は言った

「お母さんは自分の思い通りに私を利用してきたよね?職業選択の自由の中、自分で仕事を選んできたのに、私に毎日会社の愚痴を聞かせてきたよね。私の友達や親せきにも私のやってないことを言いふらして孤立させてきたでしょ。それ全部お母さんの問題だからね。会社だって仕事と言って仕事してなかったし(不倫)」と言ったら母が

manaは悪いけど薬飲んでたでしょ性被害にあったとき。あんたの話は記憶違いがあるのよと言ってきた。

私を傷つけたかったのだろうけど、私の性被害の話は息子も含め家族全員が知っていることで、今もこうやって世の中に発信しているので、母の思惑は失敗に終わったww

それを聞いた息子が「お母さんは傷つく人が減るようにどんだけがんばってくれているのか、おばあちゃんは知らないからそうやって言えちゃうんですよ」と言った。

息子は、「僕は困ったことがあったら、なんでもすぐお母さんに言ってきた。最近は困ることもないから言わないけど、おばあちゃんにお母さんが癌になったことも話さなかったのは信用されることをしてこなかったからだし、そもそもコミュニケーション不足ですよね」と言ってた。

「ママ初めて言いたいこといえたんじゃない?言った言わないやったやらないなんてもうどうにもならないんだし、このままだと終着点がないままだから、最後握手して終わりにしたら?」と息子に促され、母と握手をして帰らせた。

私は43歳にして思いのたけを初めて全部自分の言葉で言えた。

それに母親の冒頭の「責任」という言葉は知り合いの言葉を真似していっただけだそうで、「そうやって他人の言葉を鵜呑みにして一時の感情で物事を発信して周り巻き込んでぐちゃぐちゃにするようなこと、そこをやめない限り、来世、生まれ変わっても、また同じように人間関係で苦しむことになるからね。そろそろ気づけよ」と余計なお世話を言っときました。

「私は今も昔も親から愛されたいと思ってた。でも叶わないから自分たち家族で必死で生きてきた。もし学費に困ったらあなた達に頭を下げずに、学資ローンをくみますよ。人に頼らず依存せずに生きてきたから、自分たちでなんでもできちゃうからね」とも伝えた。

私が怖くて従い続けた親は、都合の悪い部分の自覚は皆無だった。

ならば、生きたいように生きればよかったね私、と思った。

だけど、私は言いたいことのすべてを泣かずに言葉に詰まることなく言えた。

何も怖くなかった。

それと、いじめから息子を守ってきたことが私に戻ってきて

とても嬉しかった。娘も私を守ろうとしてくれた。ありがたかった。

 

親が認めないなら私は世の中に発信するのに好都合です。

だって私が話してるって思わないだろうから。

 

親のことをいう自分への罪悪感が全部消えた(*’▽’)

 

今日も母とのやり取りをしていますが、いたって普通です。

私にとって母がどう生きようが、死のうが母の問題であって私には問題ないからです。

過去のように、絶対縁を切ってやるとか、無視をしようとか思ってないんです。

聞かれたことにこたえるだけ、普通の人間関係を送ると決めただけだから。

「生まなきゃ良かった」と言われ続けた。それでも私は「生きてて良かった」と思い続ける。

私が生まれたその日。産科の医師や看護師たちは「おめでとうございます」の一言もなく無言で私を別室に運んだと母から聞いた。

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私が幸せになれるわけがないって思っていた。
でも大丈夫。あなたはきっと、一人じゃない。

私は先天性の四肢障がい・口唇裂があり、
これまで15回の手術をして、今に至ります。

手の指は中指・薬指・小指が数センチしかなく、
関節がなく曲げることのできない指もあります。

足の指も同様で短く左右の大きさが違い、
右足の一部は手術の後遺症で、痛い・痒い・熱いといった感覚がありません。

これまで、虐待やいじめ、差別。
色々なことがありました。

生まれないほうが良かったのかな
もう死にたいな

っていつも思っていました。

ずっとずっと、私が幸せになれるわけがないと思って生きてきました。

だけどそんな私は今、とても幸せに毎日暮らしています。
先天性の障がいがあっても、愛情に恵まれ、笑顔に満ちた家族と生きています。

今すごく辛かったり、悩みがある人、
人生を諦めてしまっている人がこれを読んでくれていたとしたら
どうかどうか、
希望を持ってみようと思ってほしいな

と思い、この記事を書いています。

 

人生は捨てたもんじゃないよ。
簡単にあきらめるもんじゃない。
負けないで
と私はみんなに伝えたい。

私の言葉が、あなたに少しでも、
届きますように。

「医者に頼んで殺してもらえ」と言われた私の誕生日

先天性の四肢障がい・口唇裂で生まれた私の状況を
父が祖母に説明したとき、祖母は
それなら医者に頼んで殺してもらえ
と言ったそうで。

このやり取りを私はお盆と正月に毎回祖母から、親戚が大勢いる中で笑い話として聞かされました。

いつもいつもその度に泣きたくなる気持ちを殺して、
「そう思うのも仕方がないことだったよね」
って本心とは逆の返事をしてやりすごしました。

祖母はいつも、
「お前のお母さんはお前が生まれたことでお前のせいで大変だったんだからな、ちゃんと親孝行せえよ」
って言いました。

…でもその母は、私の面倒はほとんどみてくれない人でした。

何度言われたかわからない「生まなければ良かった」

母がやらないので、昔から私の世話は全て父がしてくれていました。

食事の用意、通院の付き添い、お風呂…。

いつもテレビの前で横になり寝ていた母と、
公園に行ったことは一度もありませんでした。

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「なんで生んでしまったんだろう」
「生まなければ良かった」

ずっと、そう言われ続けて生きてきました。

一度だけ、
母が「泣かなかったら欲しいものを買ってあげるね」って
予防接種のときに言ってくれたことがありました。

私はとっても嬉しくて、痛くても我慢して泣かずに予防接種を受けました。

そうしたら、黄色いボールを買ってくれて。
私の宝物でした。

でもこのときだけ黄色いボールを、なんで買ってくれたの?
と以前に聞いた時、

「泣かれるとみんなが振り向いて
手がないことを気づかれるから」

という返事が返ってきました。

母は私の手をずっと隠したがっていたんです。

幼少期は世間の目を気にした母から、外で遊ぶことや友だちを作ることは禁止され、家の中で一人で遊んでいました。

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「(障がいのある)手を隠しなさい、足を隠しなさい、
手袋や靴下を履いていなさい

とずっと言われ続けていたので、

私は恥ずかしい存在なんだ
隠さないといけない存在なんだ

という認識が幼い頃からずっとありました。

さらに私の世話を押し付けられた父から、
性虐待と暴力が始まりました。

父が作る食事。
毎日私に渡すごはんには、お箸が垂直に刺さっていました。

下を向きながら歌った「幸せなら手をたたこう」

小学校に入ると、辛い場所が家以外にもうひとつ増えたように感じました。

手足のことが原因で、
グループから外されたり、席が隣になると嫌がられました。

じゃんけんで私の手ではグーしか出せないことをみんな知っているから、
毎回負けてゴミ当番は毎日のこと。臭い臭いと指をさされました。

音楽で「幸せなら手をたたこう」を歌う時、

母がいつもいない家で、父に殴られ蹴られ、
怒鳴られている自分の姿が頭に浮かびました。

さらに機嫌のいいときは、私の身体を触る父。

ちっとも幸せじゃない、なのに歌わなきゃいけない。

幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう

下を向きながら歌ったことを覚えています。

私の居場所はどこにもない、そんな中学校時代

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私はその後、小学校時代の子が誰もいない中学校に入学しました。

知らない人しかいない学校。
つまり、だれも私の障がいのことは知りません。

親から「障がいを隠しなさい」と言われて育てられた私は、
いつも手をグーにして、制服で隠して過ごしました。

ある日、「なんでいつも手を隠してるの?」と隣のクラスの友だちに聞かれました。

私にとってその子は大切な友だちだとおもっていたから、
「生まれつきなんだ」って正直に話をすると、
「そうなんだー」という答えが返ってきて、その話は終わり。

でも次の日から、私の学校生活が一変しました。

朝登校すると、仲良くお弁当を食べていたグループの子から、
「今日は一緒に食べない」と突然言われました。

その日から毎日、中学3年間。
みんながグループごとに丸くなったり、ワイワイ楽しそうにしているなかで
1人でお弁当を食べました。

先生に相談したこともあったのですが、
「もう小学生じゃないんだから、自分でなんとかしろ」って言われて、結局助けてはもらえませんでした。

ダンスの授業で「靴下を履かせてほしい」と伝えても受け入れてはもらえず、指を刺され足を覗き込まれて笑われました。

死ねと言われたり、ものを隠されたり。
机に花瓶が置いてあったり、注文していないバラ100本が届いたりしました。

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お弁当を食べるのも1人。
教室移動も1人。
家に帰れば、育児放棄の母と暴力的な父。

この頃、私の居場所はどこにもありませんでした。

全ての期待はなくなり、
私は1人でも大丈夫、と自分自身に思い込ませることでなんとか気持ちを保っていました。

かすかにあった自信すらなくし、自身の存在意義を失う母からの言葉

そんな学校生活を送っていた私の成績はどんどん下がっていきました。

今思えば、授業中勉強が頭に入る心理状態ではないし、成績が下がるのは当たり前です。

そんな私に母は、
あんたは何もできない子なんだから。ちゃんと生まれもしなかったし
って言いました。

この言葉を言われた時、私の心がぐちゃっと潰れた音がしました。

その言葉が私が生きてきた中で一番傷ついた言葉で、
私の中にあったかすかな光も、一瞬でその時に消えました。

もういじめられたくない、変化の高校時代

中学校から高校に上がるとき、私はもう二度といじめや陰口、いやがらせは受けたくない、そう思いました。

私がいじめにあう原因は何か?その時考えました。

1、障害
2、暗さ
3、体型
4、頭の悪さ

箇条書きにして考えた原因を、ひとつずつ潰していこうと思いました。

1番の障がいは変えることができないので、2・3・4を高校入学までに変えようと決意。

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1ヶ月で断食と運動をして8キロ痩せて、何を試着してもすんなりと服がはいるようになりました。

中学の勉強を全て復習し、髪型も変えまるで別人の姿で高校の入学式を迎えると、今まで話しかけてこなかった中学校のときからの友だちが、「痩せたね、痩せたね」って話しかけてきました。

初めて努力が報われたようで、とても嬉しかったことを覚えています。

中学の時はビリに近かった成績も、学年上位4位まで上がりました。

テレビで面白いことがあれば、
学校で真似をして、みんなを笑わせて。

安室奈美恵や相川七瀬の曲を一生懸命練習して、
友達と毎日カラオケに行った。

網タイツ履いて出かけたり、プリクラを撮ったり。
おしゃれをすること、遊ぶこと。

学校が楽しい、友達が楽しいと知ったのは高校からでした。

手足のことは気づかれていたと思うけど、この時もう指摘する友だちはひとりもいませんでした。

夫との出会い、本物の愛との出会い

とはいえ、その後も全てがうまくいっていたわけではなくて。

突然始まった、母からの性虐待。
他人からの性被害もありました。

さらに父親からの虐待のフラッシュバックにも苦しみ、せっかく就職した仕事に泣きながら通勤した日々。

でも、その心の痛みを理解して支えてくれた人がいました。
それが今の夫でした。

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夫と出会って、人に愛されることの幸せを初めて知りました。
結婚後は2人の子宝にも恵まれました。

誰からも強制されず、誰からも怒鳴られない、4人の家族。

支え合い、助け合い、笑顔がいっぱい。
本物の愛を夫と子どもたちから教えてもらいました。

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たくさんの傷を受けてきた人ほど、きっとずっとずっと強い。

これまで色々なことを乗り越えてきた私は、

人生は一度きりだから、周りに流されていてはいけない

最近、そう思うようになりました。

自分が気にするほど、自分は他人の目に写っていないし、
写っていたとしても障がいと人格を一緒にひっくるめて何かを決めつけてくるような人は、大人になっていくうちに徐々に減っていくことを知りました。

今、辛くて悩んでいる人へ伝えたいこと。

見た目で人を判断するような人を、
気にする必要は全くありません。

傷がついた心や身体は、傷がついていなかった状態には完全には戻らないかもしれません。

だけど、心というものは、
傷の修復のためにいろんな力が加わって、補強されて、
強くなっていきます

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私も当時は一日を生きることに精一杯でとても苦しかったけれど、
たくさんの傷を受けてきた人ほど、
とてもとても強いです

傷ついた経験が、時を経て
強くなった心に気づくことができる日が必ず来ます。

トラブルやマイナスな出来事には、
悪い面だけではなく、良い面もひっそりとたたずんでいて

タイミングを見計らって
Hello!!やっと気づいたね」って
顔を出してくれます。

だから、経験は宝物。

傷つけた側は、違った形だったり、
全く同じ形で学ぶ日が必ず来ると思っています。

だから、今が辛くても、
どんなことがあっても、
生かされている命を大切にして、今を生きていってほしいなと思います。

過去のトラウマや経験に、怒りや恨みをもつのはもうやめよう、
そう思うととても気が楽になります。

私はこれまでの経験があったからこそ、
この手足でうまれてきたからこそ、
今何を大切にしなければいけないかがわかりました。

経験は宝物です
これまでの経験がなかったら、今の私はいなかったのだから。

未来は自分で決めるもの。一番大事なものは「心」

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どんなことがあっても
何が一番重要かといえば やはり 心 なのではないか、と思います。

どんな苦労をしても
どんな障害を持って生まれてきても

心が荒んだり、ぶれたりしなければ、
寄り添って支えてくれる人もいるだろうし、
分かり合える仲間にも出会えます。

今現在は心の傷を癒す仕事をしていますが、死ねと言われていた私が、「ありがとう」と言われる人生に自分で変えることができました。

笑って生きるのも
人を恨んで生きるのも
同じ一生です。

未来は、自分が決めていくものです

学校が本当に嫌だったら、行かなくたっていいんです。
不登校であったとしても、大検に合格すれば大学にだって行けるし、通信で学ぶことだってできます。

大人になってから学ぶことだって十分できます。

ひとりじゃないよ。きっと、大丈夫。

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今悩みがあっても、
今度はきっと、それがあなたを輝かせる光となってくれます。

人は皆、何かを抱えて生きています。
みんな必死に乗り越えようとしています。

越えた時に初めて、あの経験は無駄じゃなかったと思えるのかもしれません。

私も、今まで支えてくれた夫へいつか恩返しができるように・・・。
家族が笑顔で暮らし続けられるように・・・。
そして悩んでいる人が少しでも減るように、

私は歩み続けます。

あなたもきっと大丈夫だから、希望を持って。
あなたは一人じゃないよ。

この文章が誰かの目に留まり、
差別や、いじめや、虐待や、人権侵害が少しでもなくなっていくきっかけになりますようにと願っています。

 

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