「生まなきゃ良かった」と言われ続けた。それでも私は「生きてて良かった」と思い続ける。

私が生まれたその日。産科の医師や看護師たちは「おめでとうございます」の一言もなく無言で私を別室に運んだと母から聞いた。

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私が幸せになれるわけがないって思っていた。
でも大丈夫。あなたはきっと、一人じゃない。

私は先天性の四肢障がい・口唇裂があり、
これまで15回の手術をして、今に至ります。

手の指は中指・薬指・小指が数センチしかなく、
関節がなく曲げることのできない指もあります。

足の指も同様で短く左右の大きさが違い、
右足の一部は手術の後遺症で、痛い・痒い・熱いといった感覚がありません。

これまで、虐待やいじめ、差別。
色々なことがありました。

生まれないほうが良かったのかな
もう死にたいな

っていつも思っていました。

ずっとずっと、私が幸せになれるわけがないと思って生きてきました。

だけどそんな私は今、とても幸せに毎日暮らしています。
先天性の障がいがあっても、愛情に恵まれ、笑顔に満ちた家族と生きています。

今すごく辛かったり、悩みがある人、
人生を諦めてしまっている人がこれを読んでくれていたとしたら
どうかどうか、
希望を持ってみようと思ってほしいな

と思い、この記事を書いています。

 

人生は捨てたもんじゃないよ。
簡単にあきらめるもんじゃない。
負けないで
と私はみんなに伝えたい。

私の言葉が、あなたに少しでも、
届きますように。

「医者に頼んで殺してもらえ」と言われた私の誕生日

先天性の四肢障がい・口唇裂で生まれた私の状況を
父が祖母に説明したとき、祖母は
それなら医者に頼んで殺してもらえ
と言ったそうで。

このやり取りを私はお盆と正月に毎回祖母から、親戚が大勢いる中で笑い話として聞かされました。

いつもいつもその度に泣きたくなる気持ちを殺して、
「そう思うのも仕方がないことだったよね」
って本心とは逆の返事をしてやりすごしました。

祖母はいつも、
「お前のお母さんはお前が生まれたことでお前のせいで大変だったんだからな、ちゃんと親孝行せえよ」
って言いました。

…でもその母は、私の面倒はほとんどみてくれない人でした。

何度言われたかわからない「生まなければ良かった」

母がやらないので、昔から私の世話は全て父がしてくれていました。

食事の用意、通院の付き添い、お風呂…。

いつもテレビの前で横になり寝ていた母と、
公園に行ったことは一度もありませんでした。

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「なんで生んでしまったんだろう」
「生まなければ良かった」

ずっと、そう言われ続けて生きてきました。

一度だけ、
母が「泣かなかったら欲しいものを買ってあげるね」って
予防接種のときに言ってくれたことがありました。

私はとっても嬉しくて、痛くても我慢して泣かずに予防接種を受けました。

そうしたら、黄色いボールを買ってくれて。
私の宝物でした。

でもこのときだけ黄色いボールを、なんで買ってくれたの?
と以前に聞いた時、

「泣かれるとみんなが振り向いて
手がないことを気づかれるから」

という返事が返ってきました。

母は私の手をずっと隠したがっていたんです。

幼少期は世間の目を気にした母から、外で遊ぶことや友だちを作ることは禁止され、家の中で一人で遊んでいました。

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「(障がいのある)手を隠しなさい、足を隠しなさい、
手袋や靴下を履いていなさい

とずっと言われ続けていたので、

私は恥ずかしい存在なんだ
隠さないといけない存在なんだ

という認識が幼い頃からずっとありました。

さらに私の世話を押し付けられた父から、
性虐待と暴力が始まりました。

父が作る食事。
毎日私に渡すごはんには、お箸が垂直に刺さっていました。

下を向きながら歌った「幸せなら手をたたこう」

小学校に入ると、辛い場所が家以外にもうひとつ増えたように感じました。

手足のことが原因で、
グループから外されたり、席が隣になると嫌がられました。

じゃんけんで私の手ではグーしか出せないことをみんな知っているから、
毎回負けてゴミ当番は毎日のこと。臭い臭いと指をさされました。

音楽で「幸せなら手をたたこう」を歌う時、

母がいつもいない家で、父に殴られ蹴られ、
怒鳴られている自分の姿が頭に浮かびました。

さらに機嫌のいいときは、私の身体を触る父。

ちっとも幸せじゃない、なのに歌わなきゃいけない。

幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう

下を向きながら歌ったことを覚えています。

私の居場所はどこにもない、そんな中学校時代

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私はその後、小学校時代の子が誰もいない中学校に入学しました。

知らない人しかいない学校。
つまり、だれも私の障がいのことは知りません。

親から「障がいを隠しなさい」と言われて育てられた私は、
いつも手をグーにして、制服で隠して過ごしました。

ある日、「なんでいつも手を隠してるの?」と隣のクラスの友だちに聞かれました。

私にとってその子は大切な友だちだとおもっていたから、
「生まれつきなんだ」って正直に話をすると、
「そうなんだー」という答えが返ってきて、その話は終わり。

でも次の日から、私の学校生活が一変しました。

朝登校すると、仲良くお弁当を食べていたグループの子から、
「今日は一緒に食べない」と突然言われました。

その日から毎日、中学3年間。
みんながグループごとに丸くなったり、ワイワイ楽しそうにしているなかで
1人でお弁当を食べました。

先生に相談したこともあったのですが、
「もう小学生じゃないんだから、自分でなんとかしろ」って言われて、結局助けてはもらえませんでした。

ダンスの授業で「靴下を履かせてほしい」と伝えても受け入れてはもらえず、指を刺され足を覗き込まれて笑われました。

死ねと言われたり、ものを隠されたり。
机に花瓶が置いてあったり、注文していないバラ100本が届いたりしました。

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お弁当を食べるのも1人。
教室移動も1人。
家に帰れば、育児放棄の母と暴力的な父。

この頃、私の居場所はどこにもありませんでした。

全ての期待はなくなり、
私は1人でも大丈夫、と自分自身に思い込ませることでなんとか気持ちを保っていました。

かすかにあった自信すらなくし、自身の存在意義を失う母からの言葉

そんな学校生活を送っていた私の成績はどんどん下がっていきました。

今思えば、授業中勉強が頭に入る心理状態ではないし、成績が下がるのは当たり前です。

そんな私に母は、
あんたは何もできない子なんだから。ちゃんと生まれもしなかったし
って言いました。

この言葉を言われた時、私の心がぐちゃっと潰れた音がしました。

その言葉が私が生きてきた中で一番傷ついた言葉で、
私の中にあったかすかな光も、一瞬でその時に消えました。

もういじめられたくない、変化の高校時代

中学校から高校に上がるとき、私はもう二度といじめや陰口、いやがらせは受けたくない、そう思いました。

私がいじめにあう原因は何か?その時考えました。

1、障害
2、暗さ
3、体型
4、頭の悪さ

箇条書きにして考えた原因を、ひとつずつ潰していこうと思いました。

1番の障がいは変えることができないので、2・3・4を高校入学までに変えようと決意。

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1ヶ月で断食と運動をして8キロ痩せて、何を試着してもすんなりと服がはいるようになりました。

中学の勉強を全て復習し、髪型も変えまるで別人の姿で高校の入学式を迎えると、今まで話しかけてこなかった中学校のときからの友だちが、「痩せたね、痩せたね」って話しかけてきました。

初めて努力が報われたようで、とても嬉しかったことを覚えています。

中学の時はビリに近かった成績も、学年上位4位まで上がりました。

テレビで面白いことがあれば、
学校で真似をして、みんなを笑わせて。

安室奈美恵や相川七瀬の曲を一生懸命練習して、
友達と毎日カラオケに行った。

網タイツ履いて出かけたり、プリクラを撮ったり。
おしゃれをすること、遊ぶこと。

学校が楽しい、友達が楽しいと知ったのは高校からでした。

手足のことは気づかれていたと思うけど、この時もう指摘する友だちはひとりもいませんでした。

夫との出会い、本物の愛との出会い

とはいえ、その後も全てがうまくいっていたわけではなくて。

突然始まった、母からの性虐待。
他人からの性被害もありました。

さらに父親からの虐待のフラッシュバックにも苦しみ、せっかく就職した仕事に泣きながら通勤した日々。

でも、その心の痛みを理解して支えてくれた人がいました。
それが今の夫でした。

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夫と出会って、人に愛されることの幸せを初めて知りました。
結婚後は2人の子宝にも恵まれました。

誰からも強制されず、誰からも怒鳴られない、4人の家族。

支え合い、助け合い、笑顔がいっぱい。
本物の愛を夫と子どもたちから教えてもらいました。

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たくさんの傷を受けてきた人ほど、きっとずっとずっと強い。

これまで色々なことを乗り越えてきた私は、

人生は一度きりだから、周りに流されていてはいけない

最近、そう思うようになりました。

自分が気にするほど、自分は他人の目に写っていないし、
写っていたとしても障がいと人格を一緒にひっくるめて何かを決めつけてくるような人は、大人になっていくうちに徐々に減っていくことを知りました。

今、辛くて悩んでいる人へ伝えたいこと。

見た目で人を判断するような人を、
気にする必要は全くありません。

傷がついた心や身体は、傷がついていなかった状態には完全には戻らないかもしれません。

だけど、心というものは、
傷の修復のためにいろんな力が加わって、補強されて、
強くなっていきます

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私も当時は一日を生きることに精一杯でとても苦しかったけれど、
たくさんの傷を受けてきた人ほど、
とてもとても強いです

傷ついた経験が、時を経て
強くなった心に気づくことができる日が必ず来ます。

トラブルやマイナスな出来事には、
悪い面だけではなく、良い面もひっそりとたたずんでいて

タイミングを見計らって
Hello!!やっと気づいたね」って
顔を出してくれます。

だから、経験は宝物。

傷つけた側は、違った形だったり、
全く同じ形で学ぶ日が必ず来ると思っています。

だから、今が辛くても、
どんなことがあっても、
生かされている命を大切にして、今を生きていってほしいなと思います。

過去のトラウマや経験に、怒りや恨みをもつのはもうやめよう、
そう思うととても気が楽になります。

私はこれまでの経験があったからこそ、
この手足でうまれてきたからこそ、
今何を大切にしなければいけないかがわかりました。

経験は宝物です
これまでの経験がなかったら、今の私はいなかったのだから。

未来は自分で決めるもの。一番大事なものは「心」

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どんなことがあっても
何が一番重要かといえば やはり 心 なのではないか、と思います。

どんな苦労をしても
どんな障害を持って生まれてきても

心が荒んだり、ぶれたりしなければ、
寄り添って支えてくれる人もいるだろうし、
分かり合える仲間にも出会えます。

今現在は心の傷を癒す仕事をしていますが、死ねと言われていた私が、「ありがとう」と言われる人生に自分で変えることができました。

笑って生きるのも
人を恨んで生きるのも
同じ一生です。

未来は、自分が決めていくものです

学校が本当に嫌だったら、行かなくたっていいんです。
不登校であったとしても、大検に合格すれば大学にだって行けるし、通信で学ぶことだってできます。

大人になってから学ぶことだって十分できます。

ひとりじゃないよ。きっと、大丈夫。

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今悩みがあっても、
今度はきっと、それがあなたを輝かせる光となってくれます。

人は皆、何かを抱えて生きています。
みんな必死に乗り越えようとしています。

越えた時に初めて、あの経験は無駄じゃなかったと思えるのかもしれません。

私も、今まで支えてくれた夫へいつか恩返しができるように・・・。
家族が笑顔で暮らし続けられるように・・・。
そして悩んでいる人が少しでも減るように、

私は歩み続けます。

あなたもきっと大丈夫だから、希望を持って。
あなたは一人じゃないよ。

この文章が誰かの目に留まり、
差別や、いじめや、虐待や、人権侵害が少しでもなくなっていくきっかけになりますようにと願っています。

 

お子さんの四肢障害に心痛めている方へ

私の右手は中指、薬指、小指が数センチしかありません。

左手は人差し指と中指は
くっついて生まれてきて、

生まれてすぐに切り離す手術をしたので、関節が固まり、

二本とも指が曲がらず棒のようです。

 

薬指は形で言ったら
雪だるまみたいな形です。

結婚指輪は雪だるまの指にははめられず、
左手の小指にはめています。

ちなみに、両足もそんな感じだし、
口唇裂もあります。

この手足と唇の障害によって、
苦しんできたことは確かに
たくさんありました。

見た目が普通なら
どんなに楽かなと今でも
もちろんおもいます。

おつりのやりとり、じゃんけん、
試着室、プール、美容室のカット前に着るあのビニールっぽいものに腕を通す時、傘を持ったり、つり革をつかむ時、初対面の人と話すとき、文字を書くとき、筆を持つとき…

今考えただけでも、
つらつらといっぱいでてきます。

学校でのじゃんけん、リコーダー、悪口、陰口

親戚、両親からの差別。

障害を持っている人を
見下す人も世の中には
たくさんいます。

その逆もいます。

私の夫のように、
ふつーに愛してくれる人間もいます。

私の場合は、夫に出会う前までは、
私を見下す人しか記憶にありませんでした。

それは私の場合は、親の育て方にありました。

母親自身が障害に強い偏見や劣等感があったから、そういう意識を詰め込まれたのが原因の1つだと思います。

だから私が気にして隠して暗くなって…
の悪循環でした。

障害を持っている私本人は、
使いづらい指については、
ほんっと使いづらいと
イライラするときはありますが、

だからといって、「私は私」なんですよ。

私の中で「自分は人と違うんだ」
という認識は、幼いときはありませんでした。

「自分は人と違うんだ」
という認識に至ったのは、
周りが、特に親戚や母親が、

「あなたは人と違うんだから、
その手と足を隠しなさい」
と頻繁に言ってきたからです。

自分は人と違う、
隠さないといけない
という不安な気持ちにしたのは、
周りの人間です。

こうなると自尊心もなくなるし、
おしゃれもする気持ちにもならないし。

幼いときは隠せても、
だんだん隠しきれなくなります。

とくに子育てをして初めて
「隠していられない」
という気持ちになりました。

それならば、最初から隠さずに
育ててあげてほしい。

その子の全てを認めて、
大切に育ててあげてほしい…
そう思います。

私がそう育てて欲しかったと、
今でも思うことの1つです。

だけど、こう言いながらも、
私の子ども2人は障害を持っていません。

私は自分がたくさんの障害を持って
生まれてきたけれど、

私自身が障害を持って生まれた子を
産んではいないし、
育てたこともありません。

だから、私が言える立場ではないと
おもいますが、

大切なお子様が、この世に生まれたこと、
ご両親を選んで生まれてきたこと、

それだけでも深く尊い意味は
ちゃんとあります。

だって、他でもない、
あなたを親として
選んできたんだもん!
╰(*´︶`*)╯♡

他の親ではなく、
あなただからこそ
大切に育ててもらえると
判断したから、
あなたの元に
生まれてきたんだもん!

私は、
自分の生まれた使命を全うするには、
私の親が必要だったから、

両親を選び、
この身体で生まれることに決めて
生まれてきました。

このことを知るまで、
このたくさんの障害によって、
大変な思いをしてきました。

後になって今 思うのは、
「大変な思い」は必ず、
学ぶ目的と意味があって
「大変な思い」をする必要があったし、

「大変な思い」を乗り越えられなかった
ことは一度もありませんでした。

超えられないことは、
本当に訪れてこないです。

超えられない、耐えられないと
思うことが起きたとしても、
そこで必要な学びや成長が必ずあります。

それはしばらく経てばわかってきます。

だから、不安になることはありません。

生まれた時に障害を持って
生まれていなくても、
人なんていつどうなるかわかりません。

あなたやあなたのお子様を
傷つけた誰かも、
いつ障害を負うか
なんてわかりません。

未来の不安は少し横の箱にしまって…。

今できること、

お父さんとお母さんがニコッと
微笑んでくれることが、
子どもにとっては一番の幸せです
╰(*´︶`*)╯♡

もし、あなたやあなたのお子様の心を
傷つける誰かがいるときは、

私がその心の傷を癒すお手伝いをします。

私も心と身体に深い傷を負った1人です。

一緒に歩んでいきましょう
╰(*´︶`*)╯♡

きっと大丈夫!

 

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いじめと不登校の心のケア ― PTSD回復と親ができるサポート

はじめに

いじめや不登校は、子どもや家族に深い心の傷を残します。
「なぜ学校に行けないの?」「将来は大丈夫なの?」と不安を抱える親御さんも多いでしょう。

けれど、心理学的に見ても、不登校は「弱さ」ではなく心が限界を迎えたサインです。

今回は、私自身の体験親子で向き合った経験、さらにカウンセリングで学んだ知識をもとに、いじめや不登校によるPTSDの症状からの回復方法心のケアの具体的な方法について詳しくお話しします。

いじめが残す心の傷 ― PTSDとして現れること

いじめは「時間が経てば忘れられるもの」ではありません。 強い恐怖や絶望体験は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)として長く心に残ることがあります。いじめ後遺症として現れる症状には、以下のようなものがあります。

心理的症状:強い不安感、抑うつ気分、自己否定感

身体的症状:不眠や悪夢、頭痛・腹痛、食欲不振

行動や社会性への影響:対人関係の回避、学校や職場への不安、孤立感

長期的な影響:フラッシュバックや恐怖の再体験、自尊心の低下、将来への挑戦の消極性

私の息子も、小学校一年生の入学してすぐの時期に、集団暴行により階段から突き落とされ、PTSDを発症しました。

夜眠れない

突然のフラッシュバック

強い不安感

私も息子のこうした症状に苦しむ姿を、母親として見守るしかできなかった時期があります。

けれど実体験を通して学んだことで、「心の傷は癒せる」という希望を知りました。

不登校は弱さじゃない ― 心のSOSとして理解する

文部科学省の調査によると、不登校の児童生徒数は年々増加し、過去最多となっています。
理由の多くは「いじめ」「人間関係の不安」「強い緊張や心身の不調」です。

つまり、不登校は弱さではなく心の防衛反応なのです。
息子の場合も、学校に行かないと選択したことは「心がそれ以上に壊れないための選択」でした。

哲学者ソクラテスはこう語っています:
「自分を知ることが、すべての知恵の始まりである。」
不登校は「自分を守るための行動」であり、責められる必要はありません。

親ができること ― 「登校」よりも「安心」を優先する

不登校の子どもを持つ親御さんは、「どうすれば学校に行けるようになるか」と悩みます。
しかし、まず優先すべきは「安心できる環境」です。

私が実践したことはシンプルでした。

  • 無理に登校を促さない
  • 「学校よりも命が大事」と伝える
  • 安心できる居場所(家や相談室)を整える
  • 気持ちを話せる時間をつくる

この積み重ねが、息子に「安心」を取り戻すきっかけとなりました。
「不登校 親ができること」は、子どもの心を守ることに尽きると確信しています。

不登校と将来の不安 ― どう向き合うか

多くの親御さんが「このままでは将来が心配」と不安になります。
実際、「不登校 将来 不安」という言葉はインターネットでも多く検索されています。

しかし、研究では「一度不登校を経験した子どもでも、その後の進路を見つけ社会で活躍する例は多い」とされています。

大切なのは「今の安心を積み重ねること」。
安心の基盤ができれば、子どもは必ず未来へ歩き出します。

私と息子の回復体験談

私は母親として、そしてカウンセリングを学んだ支援者として寄り添いました。

・心理学を学び、PTSDの理解を深めた
・安心できる環境を整えた
・死にたいと泣く息子に、明るく生きている未来を想像させた
・少しずつ外の世界とのつながりを取り戻させた

時間はかかりましたが、息子は心の傷から回復し、再び未来を描けるようになりました。
この経験から言えるのは、「回復には時間がかかっても必ず可能だ」ということです。

自宅でできる心のケア方法

不登校やPTSDを抱える子ども、また支える親自身も、日常でできるセルフケアが大切です。

  • 感情を書き出す:親子で「今日の気持ち」を紙に書いてみる
  • 呼吸法やストレッチ:心身を落ち着ける習慣をつくる
  • 小さな安心を積み重ねる:「今日も1日楽しく過ごせたね」などと声をかける

これらは「自己肯定感」を少しずつ回復する土台になります。

さいごに ― あなたへのメッセージ

心理学者カール・ロジャーズはこう語りました:

「人は誰しも、自分の中に成長と回復の力を持っている。」

いじめや不登校の傷は深いものです。
それでも、安心できる環境と寄り添う人があれば、回復は必ず可能です。

あなたやお子さんが今ここに生きていること、それだけで尊く価値があります。
もし将来への不安や孤独を感じたときは、どうか一人で抱え込まないでください。

一緒に、心の傷を癒し、あなたとあなたのお子さんに関する悩みも解決していきましょう。

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歌手の麻倉未稀さんとワークショップ

今日は、あいおぷらすの家「いっぽいっぽ」で開催された、がんサバイバーのためのワークショップに、娘と一緒に参加してきました😊

このワークショップでは、パステルアートを体験しました。

最初は「うまく描けるかな?」と少し不安もありましたが、スタッフの方々が丁寧に教えてくださったので、完成させることが来ました!

 

写真は娘の作品です

娘と一緒に夢中になって描きました。

やわらかな色彩が広がっていくのを見ているだけで、心が落ち着きました✨

娘も「気づいたらあっという間に時間が過ぎちゃったね!」と、とても楽しそうでした。

ワークショップの休憩時間は、あたたかいカフェオレとお菓子をいただきながら、皆さんとお話をすることができました。

同じような経験をされた方々と気持ちを分かち合えることが、とても心強く感じました。

乳がんを経験した者同士だからこそ、言葉にしなくても分かり合える瞬間があって、胸がじんわりと温かくなりました。

乳がん治療中は、体だけでなく心も疲れてしまうことがあります。

副作用や治療の不安、再発への恐れ。

そんな気持ちを抱えながら過ごす日々の中で、今日のような癒しの時間は本当に貴重でした。

アートを通じて、心の中に溜まったものをそっと吐き出し、色とともに気持ちを解放できて癒されました。

また、がんサバイバーの歌手麻倉未稀さんとお話をする中で、「自分だけじゃないんだ」と実感することができました。

孤独を感じやすい治療期間でも、こうした交流の場があることで前向きな気持ちを取り戻せると感じました。

麻倉未稀 さんをはじめ、スタッフの皆様、本当にありがとうございました🙇‍♀️

優しい空間と温かい交流のおかげで、心がほっこり(◍︎´꒳`◍︎)しました✨

今日の思い出を大切に、また日々の生活を頑張っていこうと思います!

また機会があれば、ぜひ参加したいと思います💕

帰りは江ノ島に行って娘とお食事へ

 

美味しかった😋しあわせ〰️🐟🦐

いじめが原因で転校したあとの家族の苦しみ

わが子が経験した小学校時代のいじめ、転校、その後の家族の苦しみについて動画を作りました(後編)

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