誰からも望まれなかった私の命

生まれつきの障がいを持ち、両親からの虐待、親せきや同級生からの差別、

バイト先での性暴力被害を乗り越え、乳がんになった私から

あなたへ伝えたいことがあります。

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私の生きてきた人生がYahooニュースに掲載されました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f803e0658143604c813efc1788fa02803a754d3
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生きていればいつかいいことあるよと伝えたい|カウンセラー|乳がん全摘|両親からの虐待|学校でのいじめ|性暴力被害|先天性四肢障害|口唇裂|子どもへの性暴力|

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VOICEVOX:もち子さん(cv 明日葉よもぎ)

2025年 あけましておめでとうございます

2025年 あけました🎉

本年もよろしくお願い申し上げます🎍

 

息子が友達と見に行った初日の出です

 

これは娘が撮った初日の出です

子どもたちが初日の出を見に行っている時、私は夢の中にいました😂

 

私が作ったお餅

 

 

紅白をみて思ったけど、表現者の自由は奪ってはいけないね。

私は誰かに左右されずに、自分が伝えたいことを伝えようと、改めて思いました。

他人のことを、とやかくいう時間があるなら、その時間を自分の人生に充てるべきだわ😊

1度きりの人生を悔いなく生きよう

2025年 みんなが幸せな一年を過ごせますように💞

夫が昔に描いてくれたオモえもん

私は2012年頃から星野源さんのファンゆえ🎶

性的暴行被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

医大生らの逆転無罪判決や父親から実の娘への性的暴行で無罪主張した事件報道によって蘇る記憶

私が学生時代に起きた性的暴行被害。

連日の事件の報道等で過去の記憶が蘇る。

昔の話だからもう完全に忘れられたかと言われれば、それはない。日常でそれについて泣くことはなくなったが、私の脳内には消すことのできない記憶として残ってはいる。

性的暴行被害にあった経緯

私の「誕生日のお祝いをするから来て」と言われたからそこに行った。そこには社長夫妻と私以外にもう一人女性スタッフもいた。私は疑うこともなく現地に向かった。

その女性スタッフだけが家に帰ることを許可され、私は帰ることを止められた。

お酒をたくさん飲まされた。テキーラとか最初から私を襲う気だったんだろう。途中から私の嫌な予感が作動して「帰ります」と言ったら、帰らせてもらえなかった。襲われて写真を撮られた。いろいろ省略して書いてます。

続く加害者からの脅迫

バイト代もちゃんと支払われたことはなかった。いいように働かされ、体を汚され、恐怖しかなかった。私への扱いはモノ以下だった。

「もうバイトに行きたくない」と母に伝えても母は「時給が高いんだから行きなさい」といって辞めさせてくれなかった。(交通費込みで時給千円という約束だった)早くに私の異変に気付いてくれていれば、こんなに苦しまなくて済んだのに。と今でもそれは思う。

大人が助けないで、こどもはどう対処したらいいのか。当時は労基法・民法・刑法があることも知らない私は、恐怖の中で息を殺して生きていたんだ。

どれだけ怖くて、どれだけ苦しかったか。
きっとこの恐怖は経験した人にしかわからない。

加害者に「もうバイトに行きたくないです」と言えば、「いいよ、契約違反で訴えてやるから」と脅され続けた。それが脅迫だということもわかっていなかった。なぜなら、両親からずっとそのような言葉で私は従うことを強要されて生きてきたから。

「大学の定期試験があるからバイトにいけません」と言い続け、バイトの契約期間が終わるまで残り数週間、耐え忍んだ。

下手をしたら訴えられる。もしくは命に関わることになる。それぐらいの脅迫をする人だった。親の奴隷で生きていた過去の私には、逆らうことなど考えることはできなかったのだ。

契約期間が終わり、「写真を消してほしい」と内容証明で送ったら、「削除はしません。楽しい思い出として一生保管します」と内容証明で送られてきた。自分の部屋でこれを読んだとき、私はあまりのショックで気を失って倒れた。親は私に無関心で倒れたことすら気づいていなかったけど。この写真は障害のある手足も撮影され、お店商品の宣伝に使われていたから、それも含めて消すようにお願いしたが、聞いてもらえることは無かった。

なぜ警察に行かなかったのか

警察になぜ行かなかったかと言えば、警視庁の被害者センターで「加害者が2人で複数の場合は親告罪ではなく、警察に行った段階で事件として扱われる」と教えてもらったから。

警察や相手の弁護士が私の写真を見ることになること、どんなことをされたか、どんな状況で何をさせらのか、たくさんの人の前で再現しなければいけない。言われたくないことも、聞かれたくないことも、たくさん聞かれると知った。

それに相手が逮捕されても数年で出所する。その後の報復の方が怖くて仕方なかった。当時の私にはそれを想像しただけで震えが止まらなくなり、過呼吸になった。

心の傷が癒えていないのに、見知らぬ多数に被害状況を話せる程、当時の私はそんなに強くはなかった。

被害から20数年経った今でも加害者の住む沿線の電車には未だ乗るのに少々心が乱れる。

夜は必ず夫が居ないと外は歩けない。

耐えることで生き延びられると思ってた

私の場合に関して、この性被害にあったのは、両親から日常的に虐待を受け、泣けば「うるさい」「それぐらい我慢しなさい」と言われ続けて育ち、「耐えること」で生き延びることしか手段がないと思い込んでいたから。

心に傷を負うと、その傷が癒えるまで同じようなトラブルが人を変え状況を変えやってくるようになる。私はそうだった。

やめてはNOだということ

「やめて」と言った時に「やめてもらえる」という経験を私はしたことがなかった。幼い時から自分の感情を殺して生きなければいけないと自分に課していたから。

他人を傷つける人というものは、人を思いやる気持ちなどないんだよ。

「やめて」は拒否の意思表示だ。普通の人間関係でも「やめて」ということなどそうあるものじゃない。NOだ。

自分の愛する誰かの身に起きたら同じこと言える?

同意って何

抵抗の有無って何

 

今回の判決だと私も同意したことになる。

自分から家に行ったから。撮影をされたから。

 

私はしたくてしたんじゃない。されたくて行ったんじゃない。撮影も何もかも私は同意していない。悦んでもいない。これは同意じゃない。

私の母親は「よかったじゃない」と言ったんだ。「あんたはかたわで経験できないだろうからね」とね。「複数でするのが望みだけど普通出来ないよね」と笑ったよね。「でも気持ち悪い、あんな人と」と言ってきた。

気持ち悪いことを最も自覚しているのは、被害にあった私のほうだ。

私は本当の事しか話していない。

最低な親と加害者たちだけど、私に学ばせるという意味では、壮絶な人生を全て乗り越えて、自分が生きてきた経験を発信している今、

私を傷つけた人たちは、相当の大役を果たしたんだと思う。

性被害は、ただただ早く私を解放してほしかった。妊娠と病気が怖かった。写真は二の次だった。

この苦痛、経験していない人にわかるわけない。

 

同意って何

抵抗の有無って何

 

被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

 

 

生きていればいつかきっといいことあるんだよ

私が乳がんの手術を受ける時、「もし助かったら、自分の乗り越えてきた経験を発信してからこの世を去ろう」と思ったこと、先日ちゃんと有言実行した。

自分が生きてきた人生を形に残すことが出来た。

これだけの大きな経験はもうないと思うし、そこまで大きく広がらなくてもいい。

ひとりで抱えて悩んでいる人に、私の存在が届けばいい。

私は両親も周りの大人も助けてくれなかったから、いつも自分でいろんなこと考えて生きてきた。

ひとりぼっちのつらさは痛いほどわかる。

私みたいな人を本当はずっとさがしてた。

誰かに相談したかった。

誰かに助けてもらいたかった。

生きてる環境を変えたかった。

過去を振り返るといろいろあったなと思う。

私にとってはもう感情を伴わない単なる記憶になったけど。

悩んでいる時は、現在地点に行きつくなんて誰も想像すらしていなかったけど。

明日生きてるかわからない、そんな精神状態だったからね。

生きていればいつかきっといいことあるんだよ。

これ、ほんとだよ。

ピンクリボンフェスティバル2024オープニングナイト「麻倉未稀ライブ&トーク」に行ってきました🎀

10月1日に麻倉未稀さんのライブがあり、築地まで行ってきました。

ピンクリボンフェスティバル2024オープニングナイト「麻倉未稀ライブ&トーク」です✨

 

開場1時間前に到着し並びました✨

並んでいる間に私と同じく、乳がんの手術を受けた方々とお友達になり、いろんなお話ができました🌸

始まる前から今日来てよかったって思っていました。

私が座った席は、最前列の真ん中の席で、歌手の麻倉未稀さんが立つ位置の真正面という最高の席でした✨

うれしくてしかたない。こんな奇跡めったにない。ありがたい。

そんな気持ちでした。

 

癌になったからこそ出会えた奇跡。

キャンサーギフトっていうんだって麻倉未稀さんのトークで知った。

 

マイナスばかりの人生じゃない。

マイナスの中には、良いことも、しあわせなことも、実はたくさん隠れてる。

そこに気づけたら、どんな出来事も意味があったって思えるんだ。

 

麻倉未稀さんのお歌が始まって、2曲目 フラッシュダンス

この曲が聴けると思ってなくて、感動して、魂が震え、涙で麻倉未稀さんが見えなくなった。

この曲は私が中学校3年間ひとりでお弁当を教室のど真ん中で食べていた期間に

ダンスの授業でかかっていた曲でした。

いじめの当時は何度も消えたいと思っていた。

その曲を歌っているご本人が、私の真ん前で歌ってくれている姿を、みんなも想像してみてください。

すごいことだよね?

私はあの当時も今までもずっと頑張ってきたって思った。

私の、もがき苦しんだいじめの期間は、ここに繋がるんだって思ったら、

自分を愛おしく思った。

だってずっと頑張って生きてきたからね。

今日という日は、今までのご褒美だってそう思えた。

 

そしてこの10月1日は私の44歳の誕生日だった。

「生まなきゃよかった」と言われて育った私は、自分の誕生日は特別な思いは特にない。

だけどこの日は違った。一生忘れない大切な日になった。

 

病院に行っても良性・異常なしと言われ、最初、癌が見つからなかった時のこと、

もっと早くに見つけてもらえていればって思う患者側の気持ち。

トークを拝聴しその時の気持ちも思い出した。

 

麻倉未稀さんが歌うと拍手が鳴りやまなくて、

「鳴りやまない拍手スキ」

って言う麻倉未稀さんの言葉に、みんなもっと拍手喝采になってて面白かった。

笑っていいとものタモリさんみたいに、麻倉未稀さんが会場内に合図を出してピタッと拍手が止まった(*^-^*)

とにかく楽しかった💛

 

そしてミスティ・トワイライトとヒーロー。

ヒーローは、癌に罹患している私たちに、頑張れって歌ってくださっているのが伝わってきた。

隣に座っていた知らない男の人も、ヒーローが始まったとたん号泣してた。

びっくりするぐらい泣いてた。

 

私も、ヒーローを拝聴して、これ以上ないしあわせと、

「みんなを応援してるよ!!!」

って思いが乗った歌声に感動し、日常のいろんな悩みがどうでもよくなった。

自分を生きることを思い出させてもらった。

魂が磨かれるという経験をさせていただきました。

 

♪悲しみに振り向いたら明日が見えないよ♪

♪誰がやるというのあなたの他に♪

 

自分の人生をもう一度、生きなくてはと、

決意させてくれたタイミングでもありました。

その後は、こんなにたくさんのお土産をいただいて、

旦那さんが待つ駅に向かい、

2人で誕生日の乾杯をしました。

 

 

誕生日にたくさんの「おめでとう」をありがとうございました🎂

生きて、また来年も、笑顔で誕生日を迎えたいと思いました。

 

麻倉未稀さん、私の人生観を変えてくれる歌声をありがとうございました🎤✨

 

 

癌になる人って頑張りすぎるところがあると思うから、ちゃんと休もう。

愛犬もいつも寝てるよ

 

 

 

麻倉未稀さんのNPO法人あいおぷらす いっぽいっぽはこちらです。

乳がんに悩んでいる方々はここで相談にのってもらえますよ。

 

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