お父さんお母さんへ

内省の続きと親への手紙
 
近所からの嫌がらせも、近所からの無視も、息子のいじめも、親も誰一人と謝ってこなかった。
 
今日まで、なんでなんだとずっと私は憎しみの気持ちがあった。
 
わかってもらえない孤独。
 
全身にまとう激しい怒りと憎しみ。
 
これは親に対する気持ちと同じだった。
 
好き勝手に生きる両親への気持ちと同じだった。
 
母親がつくる、カビだらけのゴムパッキンのお弁当。
 
これにより毎日クラスメイトからいじめられてきた。
 
父が毎日のように、カビが生えた餅を私に食べさせてきたこと。
 
自分じゃ絶対食べないのに、私にはそれぐらい平気だと食べさせたこと。
 
暴言 暴力 差別まみれの家の中
 
カビだらけ、ゴキブリがうじゃうじゃ動いている団地、畳には小さな虫がうじゃうじゃいる中で、
 
六畳二間で生活してたんだ。
 
社宅なら家賃がかからないからと。
 
人の命を何だと思っているんだとずっと思ってきた。
 
医者に頼んでタヒしてもらえという母側の祖母の言葉へも、憎しみでいっぱいだった。
 
「人の命を何だと思っているんだ」とずっと思ってきた
 
ずっとこの怒りを抱えて生きてきた。
 
昔出版した本の帯にも、この言葉が抜粋されていた。
 
「人の命を何だと思っているんだ」
 
この怒りを親や祖母に言えなかったから、息子の命に関わるいじめという現実をひきよせ、
 
「人の命を何だと思っているんだ」と教師や相手にぶちまけて発散してきたんだ。
 
親と同じように誰も罪を認めない、苦しんだのは私だけという結果。
 
娘のアレルギー食材を担任から提供されたときも、担任は提供してないと嘘をつき、私はまた
 
「人の命を何だと思っているんだ」と学校、教育委員会へブチ切れたんだ。
 
文句を言いたかったのは親にだよ。
 
人を変え、登場人物を次から次へと変え、次から次へとトラブルが起き、
 
一番言いたかった言葉と同じ状況を何度も何度も引き寄せて生きてきた。
 
そりゃそうだ
 
謝るわけないよ
 
怒っているのは親へだもん
 
エキストラはそこに気づかせるために使命を果たしただけなんだし。
 
やっとわかった
 
罪を認めなかった意味が。
 
 
お父さんお母さん
 
いくらお金がほしいからって、ゴキブリがうじゃうじゃいる部屋に住みたくなかったよ。
布団に侵入してくる小さな虫も本当に嫌だった。喘息だったのに病院すら連れて行ってくれなかったから、走るたびに死にそうになった。原因がわかったのは大人になって、息が苦しくて、自分で病院に行って初めて喘息と診断されたからだよ。
 
何度も苦しくて死にかけたよ。
 
カビ生えた食べ物、カビだらけの部屋
カビだらけのお風呂、嫌だった
 
カビだらけのお風呂で性的虐待されることも、虫がうじゃうじゃいる畳で父から襲われることも、
 
両親にぶん殴られてカビだらけの壁に体がぶつかることも、本当に嫌だった。
 
痛いし、汚いし、カビがついてさらに私は汚くなるし
 
生きるための食事に、カビだらけのものだされたら、
 
私の命はどうでもいいとしか伝わらないよ
 
二人にとって私の命は大切じゃないことはわかってたけど、
 
私を生んだ責任はあったよね。
 
お父さんお母さん
 
親として、人として
 
やっちゃいけないこと
 
いっぱいやっちまったね
 
でもこれも、私の使命を生きさせるためだったんだよね。
 
私はお父さんとお母さんのおかげで
 
お金では買えない経験という学びを得たよ。
 
たくさんの気付きを得たよ。
 
やっとお父さんとお母さんが私の親として存在していた意味がわかりました。
 
お父さんとお母さんも、自己犠牲を払ってまで、私にたくさんの学びをありがとうございました。
 
お疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました。
 
manaより
 
 
 

昨日両親と話したこと

昨日両親が我が家に来た

かなりの時間話をした。

母親が私の息子に「学費は親の責任だからね。もし学費に困ったらmanaとmanaの旦那が私たちに頭を下げに来ることだからね」と誰も学費の援助などをお願いしてもいないのに、しかも息子に上から目線で母は言ったのだ。

今までの私なら黙っていただろう。

でも昨日の私は違った。

私:責任ってなに?私はあなた達と絶縁してきた12年間、私一人で子供2人の責任は負ってきた。2人の子どもの生命の責任も負ってきた。そんなこと言われなくてもやってきたことだ。それを言えるのはきちんと子育てをした親が言う言葉だ、と。

あなた達は性的虐待をし、暴力をふるい、生まなきゃよかった出来損ないと言い続けた。いやらしいことしか私に教えなかっただろ。お前たち親として何の責任を取ってきたんだよ

今、世間では性的虐待をした父親はみんな逮捕されてるだろ。同じ事やってきただろ。私のいじめ対応も一度もしない、手が気に食わないからと高温のアイロンで焼き、生まれつきの障害についても「恥ずかしいから隠しなさい」「恥ずかしいから外に出るなと何年も家に閉じ込めただろ」「恥ずかしいのは母親の問題だろ」「自分がかわいいからって私を巻き込んできただろ。私が親になって公園に連れて行かなかった母親の異常さがよくわかったわ」生んだ責任すら取らなかったやつが、どの立場で物を言っているんだか。

と私が言ったら母親は

私は虐待なんてしていない。アイロンで焼いたというなら私が焼いた証拠を出してよ。公演に連れて行かなかったことだけは悪かったけど、でも私はあなたを愛しているのよと言ってきた。

認知症か、嘘をつくたびに本当のことのように書き換わっているようだった。

そのやり取りを聴いていた私の息子が言った。

「いや、やったことはありえないことですよ。やってないと言ってもやられた方は覚えています。それにお母さんがおばあちゃんの言葉でどれだけ傷ついてきたか僕はずっと見てきたから知っています。おばあちゃんがお母さんにひどいことをするたびにお母さんは(喘息発作で)病院に行っていました。警察にも整形外科にも行っていました。やっていないといっても病院に行った証拠があります」と。

母はアイロンで焼いたんじゃない、手術をしたからてのひらが伸びないんでしょと、手術をしていない側の右手を手術したと言い張った。

そしたら、息子と娘から「お母さんの右手は手術あとすらないですよ」と突っ込まれていた。

母親は絶対に虐待もアイロン焼きも認めなかった。

だけど私は親はそういう人だとわかったうえで話をしていたから、

「やってないと思っていればいいんじゃない?私はやられたと思っているし、母親の言いなりで人生を無駄にしてきたと思っているから」と。

人それぞれ意見の相違というものはあっていいんじゃないの?と。その相違を正す人たちが裁判や訴訟を起こすんでしょ?と。

私は癌にもなって残りの人生を訴訟で時間無駄にしたくないから意見の相違ってことでいいよと伝えた。

長くなるからはしょるけど、今まで思ってたことのすべてを伝えた。

でも何一つやっていないと言っていた。父親は話の途中で「めんどくせえことしか言わねえなら帰る」といって母を私の家に置き一人帰っていった。

息子が「こんな大切な話をしてるのになんなんだ、じじい」といなくなった後言っていた

息子が私の母親に「僕はおじいちゃんおばあちゃんがずっといなかったんですよ。友達は皆これ買ってもらった、ハワイに連れて行ってもらった、お年玉何万もたまったとみんな言ってました。でも僕らはおばあちゃんがお母さんを傷つけたことで10年以上、とくに妹は生まれてから一度も会ったことなかったんですよね」といった。

私の母は泣いていた。私には泣くなうるさいと言い、育ててきたのにね

そして息子が私の母へ聞いた

「おばあちゃんは小さいころしあわせでしたか?」と。

母は言った

「私はしあわせだったわよ」と

私が聞いてみた

「お母さんは男の子として生まれなかったから名前も付けてもらえなかった」と言ってたよね?と

そしたら思い出したかのように母は過去の話をし始めた。でも幸せだったわよと言った。

私の息子が間髪入れずに告げた

「おばあちゃん、そうやって覚えていて話してるってことは無意識化で傷ついているからです。愛してほしかったのに叶わなかったから、僕のお母さんを使ってきたんじゃないですか」と。

ええ・・・こんなにインナーチャイルドを知っているとは息子よ。随分と立派に育ってくれてとても嬉しかった。

私の母は言い返せずにまた泣いていた。

私は言った

「お母さんは自分の思い通りに私を利用してきたよね?職業選択の自由の中、自分で仕事を選んできたのに、私に毎日会社の愚痴を聞かせてきたよね。私の友達や親せきにも私のやってないことを言いふらして孤立させてきたでしょ。それ全部お母さんの問題だからね。会社だって仕事と言って仕事してなかったし(不倫)」と言ったら母が

manaは悪いけど薬飲んでたでしょ性被害にあったとき。あんたの話は記憶違いがあるのよと言ってきた。

私を傷つけたかったのだろうけど、私の性被害の話は息子も含め家族全員が知っていることで、今もこうやって世の中に発信しているので、母の思惑は失敗に終わったww

それを聞いた息子が「お母さんは傷つく人が減るようにどんだけがんばってくれているのか、おばあちゃんは知らないからそうやって言えちゃうんですよ」と言った。

息子は、「僕は困ったことがあったら、なんでもすぐお母さんに言ってきた。最近は困ることもないから言わないけど、おばあちゃんにお母さんが癌になったことも話さなかったのは信用されることをしてこなかったからだし、そもそもコミュニケーション不足ですよね」と言ってた。

「ママ初めて言いたいこといえたんじゃない?言った言わないやったやらないなんてもうどうにもならないんだし、このままだと終着点がないままだから、最後握手して終わりにしたら?」と息子に促され、母と握手をして帰らせた。

私は43歳にして思いのたけを初めて全部自分の言葉で言えた。

それに母親の冒頭の「責任」という言葉は知り合いの言葉を真似していっただけだそうで、「そうやって他人の言葉を鵜呑みにして一時の感情で物事を発信して周り巻き込んでぐちゃぐちゃにするようなこと、そこをやめない限り、来世、生まれ変わっても、また同じように人間関係で苦しむことになるからね。そろそろ気づけよ」と余計なお世話を言っときました。

「私は今も昔も親から愛されたいと思ってた。でも叶わないから自分たち家族で必死で生きてきた。もし学費に困ったらあなた達に頭を下げずに、学資ローンをくみますよ。人に頼らず依存せずに生きてきたから、自分たちでなんでもできちゃうからね」とも伝えた。

私が怖くて従い続けた親は、都合の悪い部分の自覚は皆無だった。

ならば、生きたいように生きればよかったね私、と思った。

だけど、私は言いたいことのすべてを泣かずに言葉に詰まることなく言えた。

何も怖くなかった。

それと、いじめから息子を守ってきたことが私に戻ってきて

とても嬉しかった。娘も私を守ろうとしてくれた。ありがたかった。

 

親が認めないなら私は世の中に発信するのに好都合です。

だって私が話してるって思わないだろうから。

 

親のことをいう自分への罪悪感が全部消えた(*’▽’)

 

今日も母とのやり取りをしていますが、いたって普通です。

私にとって母がどう生きようが、死のうが母の問題であって私には問題ないからです。

過去のように、絶対縁を切ってやるとか、無視をしようとか思ってないんです。

聞かれたことにこたえるだけ、普通の人間関係を送ると決めただけだから。

言ってはいけない言葉をいう親

昨日、両親が家に来た。

親ってほんとに学びのための脇役、キャストだね。

もう生きている波長や波動が
彼らと私は違うところにいる。
二極化ってこういうことなんだとまた学んだ。

虐待防止や性暴力禁止、
心の傷の回復への活動を
親に遠慮なくできるという決心がついた。

母親へも直接宣言した。
私はあなたたちのがやったような
子どもを傷つけるようなことを
この社会からなくしたいからと。

なんのことか、わかっていないようだったけど。

四肢障害についても、
「恥ずかしいから隠しなさい」と
幼少期ずっと母が私に言ってきていたことも

「恥ずかしいと思っているのはお母さんでしょ」

「見た目だけで判断して、家の中に閉じ込めて
私に対してものすごく失礼なことを
してきたってことだよ」と伝えた。

とにかく私は私の意見を
親の軸に左右されることなく
感情をあらわにすることなく、
我が子を前に、両親へ伝えた。

未熟な親が露呈していた。

この話は簡単に表現できないや
何時間も話したし、
「虐待したのはお父さんよ、
私は殴ったことも一度もないわ」と母は言い、

父親は性虐待の話を
「めんどくさいこというなら帰る」といって
母を我が家に残して消えていった。

しまいには母は
「あなたは性被害にあった時薬を飲んでたでしょ。
あなたの記憶は定かじゃないのよ」と

私の子どもたちに性被害を暴露して
私を黙らせようとしたつもりみたいだが、

私の子どもたちも、夫もみんな知ってることだし、
自ら私はこうやって世の中に発信しているわけでww

私の息子に私の両親は

「僕のお母さんに二人がやったことは
ありえないことですよ。

やってないといっても
やられた方は覚えているものですから」

と指摘されていた。

息子が人として立派に育った
ということを垣間見れた。

これは良い本が書けそうだ(*’▽’)

小さなしあわせが 大きなしあわせに

私は大学時代に バイト先で性暴力被害に あいました

誕生日のお祝いを するからおいでと言われて

その時に被害にあいました

人は極限状態を経験すると

日常のちいさな幸せが

とても大きな幸せに

感じられるようになります

つづきはこの動画をみてね

私のYouTubeの動画にとびます

ひとりで泣いているあなたへ(こどもの権利)

こどもの権利について 児童憲章をもとに動画を作りました。

ご自身の育った環境はどうでしたか?

この動画にあるような ルールを守っていない大人はいませんか?

悲しい気持ちになっている人はいませんか?