ママひとつ夢が叶ったね

小6の娘が、以前に私が書いた記事をもとに、この動画を作ってくれました。

「ママひとつ夢が叶ったね」とにこにこしながら

YouTubeに投稿までしてくれました。

手足に障がいをもって生まれ親に罵倒され生きてきたmana

それでも「生きててよかった」と思い続ける。

 

こんばんはmanaの娘です╰(*°▽°*)╯

私は、お母さんの大変だった人生を

色々な人に見てもらいたくて作りました。

編集技術がまだ無いですが、

このチャンネルの動画をたくさんの人に見てもらえるように頑張ります!

( •̀ ω •́ )✧

とある加害者のブログを見てみた

学生の頃に起きた犯罪被害。

私に加害をした男はバイト先の社長だった。

被害に加え、タダ働きをさせられていた当時の私。

今、相手は80歳ぐらい

もう時期あれかなと正直、気になりブログをのぞいた。

犯罪被害なので相手の不幸を望む瞬間は私にも当然ある。

どこかのキラキラスピリチュアル衆のように、

相手の幸せを願わないと幸せにはなれないなんて、くそくらえ。

私は神様なんかじゃないし。

相手のブログを見てみたら、

私が無理矢理書かされたバイト先の宣伝のための大学の卒業論文。。。

私が大学を卒業するからと、良いように利用されたんだ。

実際、大学に提出した卒業論文とは別に、もう一つバイト先の社長から書かされたその卒業論文(仮)を

勝手にブログとホームページに掲載されていた。

大学名と本名つきでね。

障害のある体の写真と偽の評価文も載せられていた。

あぁ胸糞悪いというのは、こういうことか(笑)不快極まりない。

見なきゃ良かったわ。。。

学生だった当時は、わからなかったいろんな事が、

今はわかる。

やめてと言う言葉が、快楽に感じ、今まで以上に執拗に加害をしてくる人がいること。

私そのものを、宣伝材料に使いたくて近づいてくる人がいること。

ストレス発散のためだけに、人を傷つける人がいること。

多数の利益ではなく、自分の損得でしか判断ができない人がいること。

この世には関わってはいけない人間もいるってこと。

きっと上記の人は歳をとっても変わらない。

変わろうとはしない。

自分は悪くないと思っているから、たち悪い。

結局、何が言いたいかというと、

相手の不幸を願っていても、その人のブログ等は見ない方がいいということ(笑)

悪いことをした自覚のない加害者は、年老いてもなお、

見えない場所でも、相変わらず人を傷つけているということ。

こんな人に時間とエネルギーを持っていかれるくらいなら、

他に有効な時間の使い方をした方がいいかもしれない。

ということが、加害者のブログを見て思った。

なんという、今さら感(笑)

いじめ被害者の苦しみ

近くのスポーツセンターで水泳とジムをやろうと来てみたら、

「いじめにあって転校したといいふらして」

とメールで過去に一括送信した母親が、受付スタッフとして働いていた。

混んでいたし、その母と接触したくもなくて、帰ってきた。

私のデブ解消計画は初日にして破綻した。

やけになり帰りに娘とアイスを食べた。

本当に意味なかった。

無駄足だった。

自分がバカみたい。

どこに行っても、ここに住んでいる間はいじめ関係者に出くわす。

本当に邪魔しないでという想い。

そっちだけ、のうのうと生きないでよという私の念((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

加害者と被害者

傷つけた側は痛みを伴わないからすぐ忘れるけど、

傷つけられた側は覚えているし、いつでもその瞬間に戻れる。

戻りたくなくても。

心の傷って、いくら年月が経っても、

その傷が癒えない限り、傷を毎日毎日ずっとつけられ続けているようなもの。

私はその傷を癒すことをしている。

いつまで昔のこと言ってんのとか

忘れなよと言ってこれる人って、

自分が経験しないとわからないだろうし、


そう言う人に限って、この世の終わりのようにもがき苦しむんだよね。

人はみな、幸せになる権利がある

私は、両親からの暴力も、性的虐待も他人から受けた性暴力も、

学校で受けたいじめも、

当時は「やめて」と言えなかった。

相手と争う事で、今まで自分が築いて来た道のすべてを失ってしまうのではと思い、

激しい抵抗は出来なかった。

誰かに相談しても、そんなのウソと言われるのではと、怖くて誰にも言えなかった。

「やめて」と叫んだら、その後の自分の人生や相手との関係性は、

どうなってしまうのか、という気持ちが先に立ち、本心を口にする事は出来なかった。

私は、私に嫌がらせをしてきた人達、全員がいなくなればいいと

ずっと憎しみ、怒りの気持ちを持ちながら暮らしていた。

毎日毎日フラッシュバックが起き、恨みでいっぱいな自分がすごく嫌いだった。

こんな気持ちを持って生活していたら幸せなんか来るわけがない。

早く嫌な事を忘れて笑って暮らしたい。

それはわかっているのに脱出が出来ない。

なぜ私はいつも、いつまでもこんな気持ちしか持てないのだろうか。

相手に消えてほしいと思う私は、最低な人間。

そう思いながら被害者である私は自分で自分をさらに追い詰めていった。

「これだけの事をされたら消えてほしいと思うのは当然ですよ」

という言葉をある日の夢の中で聞いた。

私はその言葉ですごく安心出来た。

今私は怒っていいのだ。

辛い、苦しいと言っていいのだと思えた。

「怒りを感じきった先にきっと何か光は見える」と、その時に気がつけた。

私は夫に出会い、夫の支えの中、今までずっと自分探しをしてきた。

今なら「私だからこそ生きてこられたのだ」と自信が持てる。

人はみな、幸せになる権利がある。

生きる事が辛くても、ここを超えた先には

きっと大きな幸せが待っている。

私はそう信じられる。

私は何も恥じる事はしていない。

世界でひとりしか居ない私。

世界でひとつしかない、この手や足の形に誇りを持っている。

自分を大事にしていい。

自分の姿を大好きになっていい。

それが幸せへの近道だとやっと思えるようになった。

だから悩んでいる人がいたら、いつか幸せになれると信じて過ごして欲しい。

今を必死に生きていれば、良い道は必ず開ける。

私がそうだったから。だから今を一生懸命に生きて。