今、私は愛に包まれて生きている。
友達や仲間、そして癌治療を支えてくれる主治医まで、
たくさんの人たちに支えられている。
でも、ふと思った。
虐待を受けたと感じている親から、純粋に愛された瞬間は本当になかったのだろうか?と。
幼少期の記憶をたどってみることにした。
私が生まれたとき、医師や看護師は無言で私を別室へ運んだという。
父が母方の祖母に出産を報告した際、「障害があるなら医者に頼んで〇ろしてもらえ」と言われたそうだ。
しかし、父は私の命を守った。
おむつ替えも、育児も、母がやらない代わりに父が行ってくれた。
ずっと。
それが愛なのか、ただの義務感だったのかはわからないけれど、今私が生きているという事実から、きっと何かしらの愛があったのかもしれないと感じる。
中学2年の夏、母に無理やり決められた口唇裂の手術を受けた。
局部麻酔の痛みは想像以上で、「簡単に終わるよ」と言った母の言葉は嘘だった。
入院期間中、母は仕事に行き、父が病室に付き添ってくれた。
そのとき、父は「40万でも400万でも、manaのためならいくらでも出すよ」と言ってくれた。
赤ちゃんの頃も、全身麻酔が切れて目覚めたとき、目の前には泣きながら私を撫でている父の姿があった。これが父の私への愛。
母からの愛の記憶はほとんどないけれど、私を産んでくれたこと、それが母の愛なのかもしれない。
旅行の時、私の好きな料理を母の分までくれたことも、今思えば愛の一つだ。
記憶をたどると、父からは確かに愛を感じられる瞬間がいくつかあった。
両親も、自分たちが愛されずに育ったため、私を通して彼らの幼少期の傷が表面化し、それが私に向けられたのだろう。
どこかで気づいて修正できていたら、今とは違う関係になっていたかもしれない。
きっとそれは、本人たちが一番感じていることだろうけど。
今の私は親と接点を持たず、完全に自分の人生を生きている。
私にはメンターや仲間がいて、友達がいる。
困ったときは助け合い、それが当たり前の関係の中で生きている。
今回の米不足の時も、友達が農家からお米を手配してくれた。
これも、私が生きるために向けられた愛。
夫も、いつも私を支えてくれている。
近所の犬友達も、リンゴをくれたり、私の話を聞いてくれたり。
親身になって相談にのってくれる友達も何人もいる。
私はずっと「愛が足りない」と思って生きてきた。
でも、振り返ると、私の周りにはたくさんの愛があふれていた。
過去の痛みや苦しみにばかり目を向けていたからこそ、見えなかっただけなんだ。
と気づいた朝でした。