いじめが原因で転校したあとの家族の苦しみ

わが子が経験した小学校時代のいじめ、転校、その後の家族の苦しみについて動画を作りました(後編)

わが子が経験した小学校時代のいじめ、転校、近隣住民からの嫌がらせについて(前編)

NPO法人Hand&Footの皆さんとお泊まり会in神戸

行って参りました神戸❣️

朝4時に起きて、始発の電車に揺られて🚃𓈒𓂂𓏸

NPO法人Hand&Footの皆さんとのお泊まり会の運営スタッフとして参加するため、神戸まで行ってきました。

 

会場についたとき、広くて迷いましたが、無事に到着!

先に会場についていた運営スタッフの数人とお会いした時の雰囲気がとっても良くて

楽しくなりそうな気がするって思いました💛

実際、本当に楽しかった(*’▽’)

 

私が泊まったお部屋
一人部屋だったけど2つのベッドがありました

 

お部屋から見える景色

75家族の皆さんと自己紹介をし合い、夕食へ🍽

私が食べたのは神戸ポークカツ定食です⸜(*ˊᗜˋ*)⸝🐷

夕食の神戸ポークカツ定食

夕食後は交流会がありました🥰

私は先天性四肢障害の当事者として

他の方からの質問にお答えしたり、

自分の経験を話しました。

今の社会は障害者への合理的配慮や差別禁止の法律ができていて

私が生きてきた時代よりも、少しは生きていきやすい社会になった、とは思います。

個性や多様性も認められつつあります。

それでも人と違って生まれたことで起きる差別や偏見の目は、未だに多少なりとも残っています。

そんな厳しい社会の中でも、こうやってNPO法人Hand&Footの皆さんと関わることで、

自分だけじゃないんだ

一人じゃないんだ

と思えることがあります。

当事者や当事者家族の皆さんと交流することで、

支えるご家族の心が軽くなること、

お子さんご本人の心の傷が癒えていくことに繋がると思いました。

みんなで支え合える仲間がいるということは、とても心強いものだと思いました。

大人の私も、手と足を隠さないでいいんだという、なんと心楽な時間を過ごせたか♡♡♡

ありがとうございました☺️

宿泊施設のお風呂が温泉だったのでNPO法人Hand&Footのみんなと一緒に温泉に入りました♨️

私は昨年乳がんで、全摘手術をしているので、大浴場に入るのは、正直人の目が怖かったです。

それでもそんな怖さも忘れるほど、みんな全く気にしないで接してくれたので、嬉しかったです。

何年も入る勇気がなかった、大浴場の温泉に入れてとてもしあわせでした💞

優しさと愛情いっぱいの人に囲まれて、私の方が癒されていました。

ありがとうございました。

温泉の後は、保護者間での懇親会がありました。

話術の高いお母様が一人いらっしゃって、私もみんなも、ずっと爆笑しっぱなしでしたꉂ(ˊᗜˋ*)❤️💛💚💙💜

楽しい時間をありがとう❣️

そして朝食ビュッフェ(☕•᎑•☕)

朝食

食べ放題になると食べ過ぎてしまうのはどうしてだろう😋🍴💕

いつも食べすぎてしまう💦

美味しいお食事をありがとう❣️

(*´~`*)ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”

チェックアウトして、神戸の神社巡りをして帰路に。

この神社の話も次回にします⛩️

旦那さんが最寄り駅まで迎えに来てくれたのですが、その時に見えた雲の写真を送ってきてくれました🐉

随分と低空飛行な龍の形に見える雲さんです🐉

 

翌朝、自宅の玄関前のお花を見て

おかえりと言ってもらってるような

気持ちになりました✻*˸ꕤ*˸*⋆。

お花

初めての経験だらけで心配していたけど、とっても充実した楽しい2日間を過ごせました。

本当にありがとうございました😭💞

また皆さんとお会いできる日を楽しみにしています☺️💓

私がこの体で生まれた意味がわかった2日間でした。

ありがとう

虐待の心の傷もこんな風に癒える日がくるんです

私のこころの痛みを力に変えるカウンセリングを受けてくださった方のご感想です🌟

虐待の心の傷もこのように癒える日がくるんです🌟

 

おはようございます
まな さんすごいです
今まで受けたいろいろなセッションで一番素晴らしかったです。
私の根本にあった幼少期の心の傷を癒してくださり、ありがとうございます

昨日お風呂に入っていたら母親と父親が喧嘩をしていた時の辛かった幼い自分が出てきました

母親を、かわいそう 守ってあげられない そこから自分の自信のなさが生まれてました

まなさんがセッションでやってくれたように 自分なりに 癒しました

びっくりでした!
両腕のところに黒い痣があって、
「それどうしたの?」と聞いたら 幼い頃の〇〇ちゃんが
「私が悪い子だから お父さんが ぶ つんだ」
と教えてくれました。

自分の中からそんなワードが出てくるなんて びっくりでした(びっくり)

きっとまだまだたくさん 幼少期の傷があるんだろうなと思ってます…
とりあえず しばらくは 今の変化を観察してみようと思ってます

その後は…もしかしたらまたまなさんにお声掛けするかもしれません。

この度は素敵なセッション ありがとうございました!

 

私のセッションを受けてくださってありがとうございました🌟

みんなでしあわせになりましょうねっ💛

 

セッションの詳細はこちらから

 

昨日両親と話したこと

昨日両親が我が家に来た

かなりの時間話をした。

母親が私の息子に「学費は親の責任だからね。もし学費に困ったらmanaとmanaの旦那が私たちに頭を下げに来ることだからね」と誰も学費の援助などをお願いしてもいないのに、しかも息子に上から目線で母は言ったのだ。

今までの私なら黙っていただろう。

でも昨日の私は違った。

私:責任ってなに?私はあなた達と絶縁してきた12年間、私一人で子供2人の責任は負ってきた。2人の子どもの生命の責任も負ってきた。そんなこと言われなくてもやってきたことだ。それを言えるのはきちんと子育てをした親が言う言葉だ、と。

あなた達は性的虐待をし、暴力をふるい、生まなきゃよかった出来損ないと言い続けた。いやらしいことしか私に教えなかっただろ。お前たち親として何の責任を取ってきたんだよ

今、世間では性的虐待をした父親はみんな逮捕されてるだろ。同じ事やってきただろ。私のいじめ対応も一度もしない、手が気に食わないからと高温のアイロンで焼き、生まれつきの障害についても「恥ずかしいから隠しなさい」「恥ずかしいから外に出るなと何年も家に閉じ込めただろ」「恥ずかしいのは母親の問題だろ」「自分がかわいいからって私を巻き込んできただろ。私が親になって公園に連れて行かなかった母親の異常さがよくわかったわ」生んだ責任すら取らなかったやつが、どの立場で物を言っているんだか。

と私が言ったら母親は

私は虐待なんてしていない。アイロンで焼いたというなら私が焼いた証拠を出してよ。公演に連れて行かなかったことだけは悪かったけど、でも私はあなたを愛しているのよと言ってきた。

認知症か、嘘をつくたびに本当のことのように書き換わっているようだった。

そのやり取りを聴いていた私の息子が言った。

「いや、やったことはありえないことですよ。やってないと言ってもやられた方は覚えています。それにお母さんがおばあちゃんの言葉でどれだけ傷ついてきたか僕はずっと見てきたから知っています。おばあちゃんがお母さんにひどいことをするたびにお母さんは(喘息発作で)病院に行っていました。警察にも整形外科にも行っていました。やっていないといっても病院に行った証拠があります」と。

母はアイロンで焼いたんじゃない、手術をしたからてのひらが伸びないんでしょと、手術をしていない側の右手を手術したと言い張った。

そしたら、息子と娘から「お母さんの右手は手術あとすらないですよ」と突っ込まれていた。

母親は絶対に虐待もアイロン焼きも認めなかった。

だけど私は親はそういう人だとわかったうえで話をしていたから、

「やってないと思っていればいいんじゃない?私はやられたと思っているし、母親の言いなりで人生を無駄にしてきたと思っているから」と。

人それぞれ意見の相違というものはあっていいんじゃないの?と。その相違を正す人たちが裁判や訴訟を起こすんでしょ?と。

私は癌にもなって残りの人生を訴訟で時間無駄にしたくないから意見の相違ってことでいいよと伝えた。

長くなるからはしょるけど、今まで思ってたことのすべてを伝えた。

でも何一つやっていないと言っていた。父親は話の途中で「めんどくせえことしか言わねえなら帰る」といって母を私の家に置き一人帰っていった。

息子が「こんな大切な話をしてるのになんなんだ、じじい」といなくなった後言っていた

息子が私の母親に「僕はおじいちゃんおばあちゃんがずっといなかったんですよ。友達は皆これ買ってもらった、ハワイに連れて行ってもらった、お年玉何万もたまったとみんな言ってました。でも僕らはおばあちゃんがお母さんを傷つけたことで10年以上、とくに妹は生まれてから一度も会ったことなかったんですよね」といった。

私の母は泣いていた。私には泣くなうるさいと言い、育ててきたのにね

そして息子が私の母へ聞いた

「おばあちゃんは小さいころしあわせでしたか?」と。

母は言った

「私はしあわせだったわよ」と

私が聞いてみた

「お母さんは男の子として生まれなかったから名前も付けてもらえなかった」と言ってたよね?と

そしたら思い出したかのように母は過去の話をし始めた。でも幸せだったわよと言った。

私の息子が間髪入れずに告げた

「おばあちゃん、そうやって覚えていて話してるってことは無意識化で傷ついているからです。愛してほしかったのに叶わなかったから、僕のお母さんを使ってきたんじゃないですか」と。

ええ・・・こんなにインナーチャイルドを知っているとは息子よ。随分と立派に育ってくれてとても嬉しかった。

私の母は言い返せずにまた泣いていた。

私は言った

「お母さんは自分の思い通りに私を利用してきたよね?職業選択の自由の中、自分で仕事を選んできたのに、私に毎日会社の愚痴を聞かせてきたよね。私の友達や親せきにも私のやってないことを言いふらして孤立させてきたでしょ。それ全部お母さんの問題だからね。会社だって仕事と言って仕事してなかったし(不倫)」と言ったら母が

manaは悪いけど薬飲んでたでしょ性被害にあったとき。あんたの話は記憶違いがあるのよと言ってきた。

私を傷つけたかったのだろうけど、私の性被害の話は息子も含め家族全員が知っていることで、今もこうやって世の中に発信しているので、母の思惑は失敗に終わったww

それを聞いた息子が「お母さんは傷つく人が減るようにどんだけがんばってくれているのか、おばあちゃんは知らないからそうやって言えちゃうんですよ」と言った。

息子は、「僕は困ったことがあったら、なんでもすぐお母さんに言ってきた。最近は困ることもないから言わないけど、おばあちゃんにお母さんが癌になったことも話さなかったのは信用されることをしてこなかったからだし、そもそもコミュニケーション不足ですよね」と言ってた。

「ママ初めて言いたいこといえたんじゃない?言った言わないやったやらないなんてもうどうにもならないんだし、このままだと終着点がないままだから、最後握手して終わりにしたら?」と息子に促され、母と握手をして帰らせた。

私は43歳にして思いのたけを初めて全部自分の言葉で言えた。

それに母親の冒頭の「責任」という言葉は知り合いの言葉を真似していっただけだそうで、「そうやって他人の言葉を鵜呑みにして一時の感情で物事を発信して周り巻き込んでぐちゃぐちゃにするようなこと、そこをやめない限り、来世、生まれ変わっても、また同じように人間関係で苦しむことになるからね。そろそろ気づけよ」と余計なお世話を言っときました。

「私は今も昔も親から愛されたいと思ってた。でも叶わないから自分たち家族で必死で生きてきた。もし学費に困ったらあなた達に頭を下げずに、学資ローンをくみますよ。人に頼らず依存せずに生きてきたから、自分たちでなんでもできちゃうからね」とも伝えた。

私が怖くて従い続けた親は、都合の悪い部分の自覚は皆無だった。

ならば、生きたいように生きればよかったね私、と思った。

だけど、私は言いたいことのすべてを泣かずに言葉に詰まることなく言えた。

何も怖くなかった。

それと、いじめから息子を守ってきたことが私に戻ってきて

とても嬉しかった。娘も私を守ろうとしてくれた。ありがたかった。

 

親が認めないなら私は世の中に発信するのに好都合です。

だって私が話してるって思わないだろうから。

 

親のことをいう自分への罪悪感が全部消えた(*’▽’)

 

今日も母とのやり取りをしていますが、いたって普通です。

私にとって母がどう生きようが、死のうが母の問題であって私には問題ないからです。

過去のように、絶対縁を切ってやるとか、無視をしようとか思ってないんです。

聞かれたことにこたえるだけ、普通の人間関係を送ると決めただけだから。

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