私はずっと両親が憎くて憎くて仕方ありませんでした。
ずーっと独り言のように、子供の前でも夫の前でも言ってきてしまいました。
そんな自分が嫌でエディさんと波っちさんのセッションを予約し、
私は怒りを周りにぶちまけて、怒りを原動力にして生きてきました。
親が死ねばいいのにと言っても、親が死んだらもう文句は言えない。
親が死んだって、私の中にある怒りは永遠に消えないのに、死ねばいいのにと、
いつも親に認められたくて、そのままの私でいいんだよと言ってほしくて、
本当は「親は私のことなんか大嫌いだ」と、私は気づいていたはずなのに。
嫌だといいながら、母親が私に構う姿に愛情を確かめていたんだ。
私が居留守を使うとインターホンから私を探す母の姿がみれて、
私は母が恐怖だと思っていたけど、本当は嬉しかったんだ。
我が家だけ祖父母がいない子どもの運動会とか辛かった。
息子のいじめと通院と娘の世話と、近所からの嫌がらせと
絶縁していても私の脳内から母親が消えたことは一度もなかった。
心のどこかで「お母さん助けて」「お母さんが決めて」「お母さん私を見捨てないで」「お母さん忘れないでね」とずーっと思ってた。
大変な現状を自分で作り出し、親への復讐のために・・・
親に認めてもらいたいがために、親のために生き続けてしまった。
教育態度の悪い学校の先生を見つけては次から次に歯向かい、
ほかの人を探し怒りの矛先を他の人に向けて生きてきたんだ。
「あんたなんかいなくてもこんなに大変なこと一人でこなしたよ」と。
「あんたが助けてくれないから私は一人で全部抱えて癌にもなったよ」と。
コロナ禍でお見舞い面会禁止の独りぼっちの手術と入院も、
「こんな大変なこと、お前らにはできないだろうな」と過酷な状況を自ら作り出し、
すごいね、よく頑張ったねと 私は親に言わせたかったんだ。
大好きだよ 愛してるよと 言って抱きしめてほしかった
どうでもいいことに時間と労力と右胸(癌)まで差し出してしまった。
ああああああああーーーーーーーーーーーー!!!!!!
親に愛されなかった自分の穴を埋めるために発信してきた。
だから人が集まらないし、伝わらないし、叩かれてきたんだと
私は責任を負っているようで責任をとっていなかったから、
親の言いなりになれば何にも責任を取らなくてよかったし
大変な現状を生きていれば、被害者として生きていける
加害者を作り出すことに優位性とメリットをきっと感じていたんだ。
異常だと思っていたけど、あの姿は私と変わらないんだ。
自分で作り出した過酷な現状を、他人のせいにして、弱いのに強がって、偽りの自分軸で生きている嘘の姿 怒りにまみれたあの姿