歌手の麻倉未稀さんとワークショップ

今日は、あいおぷらすの家「いっぽいっぽ」で開催された、がんサバイバーのためのワークショップに、娘と一緒に参加してきました😊

このワークショップでは、パステルアートを体験しました。

最初は「うまく描けるかな?」と少し不安もありましたが、スタッフの方々が丁寧に教えてくださったので、完成させることが来ました!

 

写真は娘の作品です

娘と一緒に夢中になって描きました。

やわらかな色彩が広がっていくのを見ているだけで、心が落ち着きました✨

娘も「気づいたらあっという間に時間が過ぎちゃったね!」と、とても楽しそうでした。

ワークショップの休憩時間は、あたたかいカフェオレとお菓子をいただきながら、皆さんとお話をすることができました。

同じような経験をされた方々と気持ちを分かち合えることが、とても心強く感じました。

乳がんを経験した者同士だからこそ、言葉にしなくても分かり合える瞬間があって、胸がじんわりと温かくなりました。

乳がん治療中は、体だけでなく心も疲れてしまうことがあります。

副作用や治療の不安、再発への恐れ。

そんな気持ちを抱えながら過ごす日々の中で、今日のような癒しの時間は本当に貴重でした。

アートを通じて、心の中に溜まったものをそっと吐き出し、色とともに気持ちを解放できて癒されました。

また、がんサバイバーの歌手麻倉未稀さんとお話をする中で、「自分だけじゃないんだ」と実感することができました。

孤独を感じやすい治療期間でも、こうした交流の場があることで前向きな気持ちを取り戻せると感じました。

麻倉未稀 さんをはじめ、スタッフの皆様、本当にありがとうございました🙇‍♀️

優しい空間と温かい交流のおかげで、心がほっこり(◍︎´꒳`◍︎)しました✨

今日の思い出を大切に、また日々の生活を頑張っていこうと思います!

また機会があれば、ぜひ参加したいと思います💕

帰りは江ノ島に行って娘とお食事へ

 

美味しかった😋しあわせ〰️🐟🦐

メディア関係の方々へ

生放送の出演依頼は急ではなく事前に伝えてほしいです。

それと夜中の撮影は家族がいるので難しいです。

ご依頼はとてもうれしいです。ありがとうございます💛

乳がん全摘手術から2年

2025.1.20

昨日は乳がん全摘手術から2年目でした。

旦那さんがレストランの予約を取ってくれていてお祝いしてもらってきました。

とても素敵な空間です

 

前菜↑

ラザニア↑

雪うさぎという白い苺↑

これがとってもおいしいの

これは娘からお菓子詰め合わせをもらいました↑

 

無事に乳がん2年生になりました。

闘病中というのもあって、まだ2年か・・・

長い闘いだなと思う気持ちもあるけれど、

https://x.com/kokoronokizucom/status/1616544500910026753

この時に一度死にかけた身としては、

生きた証を残したいと決め、実行してきたことは、よく頑張ったと思えます。

 

また一年後も笑顔で迎えたいです。

生かせてくれてありがとう。

当たり前の毎日が当たり前に来ることに感謝しています。

誰からも望まれなかった私の命

生まれつきの障がいを持ち、両親からの虐待、親せきや同級生からの差別、

バイト先での性暴力被害を乗り越え、乳がんになった私から

あなたへ伝えたいことがあります。

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私の生きてきた人生がYahooニュースに掲載されました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f803e0658143604c813efc1788fa02803a754d3
✨・*..☆.。.:*.☆.⋆。:゚・*.☆.。.:. *:゚ 。✨

生きていればいつかいいことあるよと伝えたい|カウンセラー|乳がん全摘|両親からの虐待|学校でのいじめ|性暴力被害|先天性四肢障害|口唇裂|子どもへの性暴力|

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性的暴行被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

医大生らの逆転無罪判決や父親から実の娘への性的暴行で無罪主張した事件報道によって蘇る記憶

私が学生時代に起きた性的暴行被害。

連日の事件の報道等で過去の記憶が蘇る。

昔の話だからもう完全に忘れられたかと言われれば、それはない。日常でそれについて泣くことはなくなったが、私の脳内には消すことのできない記憶として残ってはいる。

性的暴行被害にあった経緯

母から性的虐待を受けて数週間後、母が「ボランティアでもいいから仕事を教えてやって」と勝手に頼んだお店のバイトをすることになった。
社長の奥さんから、私の「誕生日のお祝いをするから来て」と言われたのでそこに行った。そこには社長夫妻と私以外にもう一人女性スタッフもいた。私は疑うこともなく現地に向かった。
しばらくして、その女性スタッフだけが家に帰ることを許可され、私は帰ることを止められた。
その女性スタッフが帰った後、私はお酒をたくさん飲まされた。テキーラとか最初から私を襲う気だったんだろう。途中から私の嫌な予感が作動して「帰ります」と言ったけど、帰らせてもらえなかった。すでに準備されていた布団に、背後から背中を蹴られ倒れ込んだ。
手首を縛られ、夫婦二人がかりで私の体を弄り朝まで襲われ続けた。社長が襲う私の姿を社長の奥さんが撮影した。

続く加害者からの脅迫

バイト代もちゃんと支払われたことはなかった。「契約書を交わしていないから、働いたことになってないんだよ。お前のお母さんがボランティアって言ってただろ。ボランティアにはカネは出さないんだよ」と笑われた。都合よく働かされ、体を汚され、恐怖しかなかった。私への扱いはモノ以下だった。

「もうバイトに行きたくない」と母に伝えても母は「時給が高いんだから行きなさい」といって辞めさせてくれなかった。(交通費込みで時給千円といわれていた)早くに私の異変に気付いてくれていれば、こんなに苦しまなくて済んだのに。と今でもそれは思う。

大人が助けないで、こどもはどう対処したらいいのか。当時は労基法・民法・刑法があることも知らない私は、恐怖の中で息を殺して生きていたんだ。

どれだけ怖くて、どれだけ苦しかったか。

きっとこの恐怖は経験した人にしかわからない。

加害者に「もうバイトに行きたくないです」と言えば、「いいよ、契約違反で訴えてやるから」と脅され続けた。「口約束も契約のうちだ」と都合のいい時だけそう言われた。それが脅迫だということもわかっていなかった。なぜなら、両親からずっとそのような言葉で私は従うことを強要されて生きてきたから。

「大学の定期試験があるからバイトにいけません」と言い続け、3か月間という約束の期間が終わるまで残り数週間、耐え忍んだ。

下手をしたら訴えられる。もしくは命に関わることになる。それぐらいの脅迫をする人だった。親の奴隷で生きていた過去の私には、逆らうことなど考えることはできなかったのだ。

約束の3か月間が終わり、「写真を消してほしい」と内容証明で送ったら、「削除はしません。楽しい思い出として一生保管します」と内容証明で送られてきた。自分の部屋でこれを読んだとき、私はあまりのショックで気を失って倒れた。親は私に無関心で倒れたことすら気づいていなかったけど。この写真は障がいのある手足も撮影され、お店商品の宣伝に使われていたから、それも含めて消すようにお願いしたが、聞いてもらえることは無かった。

なぜ警察に行かなかったのか

警察になぜ行かなかったかと言えば、警視庁の被害者センターで「加害者が2人で複数の場合は親告罪ではなく、警察に行った段階で事件として扱われる」と教えてもらったから。

警察や相手の弁護士が私の写真を見ることになること、どんなことをされたか、どんな状況で何をさせらのか、たくさんの人の前で再現しなければいけない。言われたくないことも、聞かれたくないことも、たくさん聞かれると知った。

それに相手が逮捕されても数年で出所する。その後の報復の方が怖くて仕方なかった。当時の私にはそれを想像しただけで震えが止まらなくなり、過呼吸になった。

心の傷が癒えていないのに、見知らぬ多数に被害状況を話せる程、当時の私はそんなに強くはなかった。

被害から20数年経った今でも加害者の住む沿線の電車には未だ乗るのに少々心が乱れる。

夜は必ず夫が居ないと外は歩けない。

耐えることで生き延びられると思ってた

私の場合に関して、この性被害にあったのは、両親から日常的に虐待を受け、泣けば「うるさい」「それぐらい我慢しなさい」と言われ続けて育ち、「耐えること」で生き延びることしか手段がないと思い込んでいたから。

心に傷を負うと、その傷が癒えるまで同じようなトラブルが人を変え状況を変えやってくるようになる。私はそうだった。

やめてはNOだということ

「やめて」と言った時に「やめてもらえる」という経験を私はしたことがなかった。幼い時から自分の感情を殺して生きなければいけないと自分に課していたから。

他人を傷つける人というものは、人を思いやる気持ちなどないんだよ。

「やめて」は拒否の意思表示だ。普通の人間関係でも「やめて」ということなどそうあるものじゃない。NOだ。

自分の愛する誰かの身に起きたら同じこと言える?

同意って何

抵抗の有無って何

 

今回の判決だと私も同意したことになる。

自分から家に行ったから。撮影をされたから。

 

私はしたくてしたんじゃない。されたくて行ったんじゃない。撮影も何もかも私は同意していない。悦んでもいない。これは同意じゃない。

私の母親は「よかったじゃない」と言ったんだ。「あんたはかたわで経験できないだろうからね」とね。「複数でするのが望みだけど普通出来ないよね」と笑ったよね。「でも気持ち悪い、あんな人と」と言ってきた。

気持ち悪いことを最も自覚しているのは、被害にあった私のほうだ。

私は本当の事しか話していない。

最低な親と加害者たちだけど、私に学ばせるという意味では、壮絶な人生を全て乗り越えて、自分が生きてきた経験を発信している今、

私を傷つけた人たちは、相当の大役を果たしたんだと思う。

性被害は、ただただ早く私を解放してほしかった。妊娠と病気が怖かった。写真は二の次だった。

この苦痛、経験していない人にわかるわけない。

 

同意って何

抵抗の有無って何

 

被害にあった人が、自分の愛する誰かだったら同じこと言える?

 

 

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