インスタ投稿しました
毎日やることが多くて、ブログ更新が不定期になっていてすみません( ;∀;)
追記
インスタをあまり一生懸命やっていなくて、重い腰を上げてやっと編集して投稿したら万バズになりました。
個人的なメッセージがたくさん届いています。
生きていたらいつかきっといいことがある
これはほんとだと思う。
みなさんのおかげさまです。
ありがとうございます✨
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インスタをあまり一生懸命やっていなくて、重い腰を上げてやっと編集して投稿したら万バズになりました。
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生きていたらいつかきっといいことがある
これはほんとだと思う。
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私が生まれたその日。産科の医師や看護師たちは「おめでとうございます」の一言もなく無言で私を別室に運んだと母から聞いた。

私は先天性の四肢障がい・口唇裂があり、
これまで15回の手術をして、今に至ります。
手の指は中指・薬指・小指が数センチしかなく、
関節がなく曲げることのできない指もあります。
足の指も同様で短く左右の大きさが違い、
右足の一部は手術の後遺症で、痛い・痒い・熱いといった感覚がありません。
これまで、虐待やいじめ、差別。
色々なことがありました。
生まれないほうが良かったのかな
もう死にたいな
っていつも思っていました。
ずっとずっと、私が幸せになれるわけがないと思って生きてきました。
だけどそんな私は今、とても幸せに毎日暮らしています。
先天性の障がいがあっても、愛情に恵まれ、笑顔に満ちた家族と生きています。
今すごく辛かったり、悩みがある人、
人生を諦めてしまっている人がこれを読んでくれていたとしたら
どうかどうか、
希望を持ってみようと思ってほしいな、
と思い、この記事を書いています。
人生は捨てたもんじゃないよ。
簡単にあきらめるもんじゃない。
負けないでと私はみんなに伝えたい。
私の言葉が、あなたに少しでも、
届きますように。
先天性の四肢障がい・口唇裂で生まれた私の状況を
父が祖母に説明したとき、祖母は
「それなら医者に頼んで殺してもらえ」
と言ったそうで。
このやり取りを私はお盆と正月に毎回祖母から、親戚が大勢いる中で笑い話として聞かされました。
いつもいつもその度に泣きたくなる気持ちを殺して、
「そう思うのも仕方がないことだったよね」
って本心とは逆の返事をしてやりすごしました。
祖母はいつも、
「お前のお母さんはお前が生まれたことでお前のせいで大変だったんだからな、ちゃんと親孝行せえよ」
って言いました。
…でもその母は、私の面倒はほとんどみてくれない人でした。
母がやらないので、昔から私の世話は全て父がしてくれていました。
食事の用意、通院の付き添い、お風呂…。
いつもテレビの前で横になり寝ていた母と、
公園に行ったことは一度もありませんでした。

「なんで生んでしまったんだろう」
「生まなければ良かった」
ずっと、そう言われ続けて生きてきました。
一度だけ、
母が「泣かなかったら欲しいものを買ってあげるね」って
予防接種のときに言ってくれたことがありました。
私はとっても嬉しくて、痛くても我慢して泣かずに予防接種を受けました。
そうしたら、黄色いボールを買ってくれて。
私の宝物でした。
でもこのときだけ黄色いボールを、なんで買ってくれたの?
と以前に聞いた時、
「泣かれるとみんなが振り向いて
手がないことを気づかれるから」
という返事が返ってきました。
母は私の手をずっと隠したがっていたんです。
幼少期は世間の目を気にした母から、外で遊ぶことや友だちを作ることは禁止され、家の中で一人で遊んでいました。

「(障がいのある)手を隠しなさい、足を隠しなさい、
手袋や靴下を履いていなさい」
とずっと言われ続けていたので、
私は恥ずかしい存在なんだ
隠さないといけない存在なんだ
という認識が幼い頃からずっとありました。
さらに私の世話を押し付けられた父から、
性虐待と暴力が始まりました。
父が作る食事。
毎日私に渡すごはんには、お箸が垂直に刺さっていました。
小学校に入ると、辛い場所が家以外にもうひとつ増えたように感じました。
手足のことが原因で、
グループから外されたり、席が隣になると嫌がられました。
じゃんけんで私の手ではグーしか出せないことをみんな知っているから、
毎回負けてゴミ当番は毎日のこと。臭い臭いと指をさされました。
音楽で「幸せなら手をたたこう」を歌う時、
母がいつもいない家で、父に殴られ蹴られ、
怒鳴られている自分の姿が頭に浮かびました。
さらに機嫌のいいときは、私の身体を触る父。
ちっとも幸せじゃない、なのに歌わなきゃいけない。
幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう
下を向きながら歌ったことを覚えています。

私はその後、小学校時代の子が誰もいない中学校に入学しました。
知らない人しかいない学校。
つまり、だれも私の障がいのことは知りません。
親から「障がいを隠しなさい」と言われて育てられた私は、
いつも手をグーにして、制服で隠して過ごしました。
ある日、「なんでいつも手を隠してるの?」と隣のクラスの友だちに聞かれました。
私にとってその子は大切な友だちだとおもっていたから、
「生まれつきなんだ」って正直に話をすると、
「そうなんだー」という答えが返ってきて、その話は終わり。
でも次の日から、私の学校生活が一変しました。
朝登校すると、仲良くお弁当を食べていたグループの子から、
「今日は一緒に食べない」と突然言われました。
その日から毎日、中学3年間。
みんながグループごとに丸くなったり、ワイワイ楽しそうにしているなかで
1人でお弁当を食べました。
先生に相談したこともあったのですが、
「もう小学生じゃないんだから、自分でなんとかしろ」って言われて、結局助けてはもらえませんでした。
ダンスの授業で「靴下を履かせてほしい」と伝えても受け入れてはもらえず、指を刺され足を覗き込まれて笑われました。
死ねと言われたり、ものを隠されたり。
机に花瓶が置いてあったり、注文していないバラ100本が届いたりしました。

お弁当を食べるのも1人。
教室移動も1人。
家に帰れば、育児放棄の母と暴力的な父。
この頃、私の居場所はどこにもありませんでした。
全ての期待はなくなり、
私は1人でも大丈夫、と自分自身に思い込ませることでなんとか気持ちを保っていました。
そんな学校生活を送っていた私の成績はどんどん下がっていきました。
今思えば、授業中勉強が頭に入る心理状態ではないし、成績が下がるのは当たり前です。
そんな私に母は、
「あんたは何もできない子なんだから。ちゃんと生まれもしなかったし」
って言いました。
この言葉を言われた時、私の心がぐちゃっと潰れた音がしました。
その言葉が私が生きてきた中で一番傷ついた言葉で、
私の中にあったかすかな光も、一瞬でその時に消えました。
中学校から高校に上がるとき、私はもう二度といじめや陰口、いやがらせは受けたくない、そう思いました。
私がいじめにあう原因は何か?その時考えました。
1、障害
2、暗さ
3、体型
4、頭の悪さ
箇条書きにして考えた原因を、ひとつずつ潰していこうと思いました。
1番の障がいは変えることができないので、2・3・4を高校入学までに変えようと決意。

1ヶ月で断食と運動をして8キロ痩せて、何を試着してもすんなりと服がはいるようになりました。
中学の勉強を全て復習し、髪型も変えまるで別人の姿で高校の入学式を迎えると、今まで話しかけてこなかった中学校のときからの友だちが、「痩せたね、痩せたね」って話しかけてきました。
初めて努力が報われたようで、とても嬉しかったことを覚えています。
中学の時はビリに近かった成績も、学年上位4位まで上がりました。
テレビで面白いことがあれば、
学校で真似をして、みんなを笑わせて。
安室奈美恵や相川七瀬の曲を一生懸命練習して、
友達と毎日カラオケに行った。
網タイツ履いて出かけたり、プリクラを撮ったり。
おしゃれをすること、遊ぶこと。
学校が楽しい、友達が楽しいと知ったのは高校からでした。
手足のことは気づかれていたと思うけど、この時もう指摘する友だちはひとりもいませんでした。
とはいえ、その後も全てがうまくいっていたわけではなくて。
突然始まった、母からの性虐待。
他人からの性被害もありました。
さらに父親からの虐待のフラッシュバックにも苦しみ、せっかく就職した仕事に泣きながら通勤した日々。
でも、その心の痛みを理解して支えてくれた人がいました。
それが今の夫でした。

夫と出会って、人に愛されることの幸せを初めて知りました。
結婚後は2人の子宝にも恵まれました。
誰からも強制されず、誰からも怒鳴られない、4人の家族。
支え合い、助け合い、笑顔がいっぱい。
本物の愛を夫と子どもたちから教えてもらいました。

これまで色々なことを乗り越えてきた私は、
人生は一度きりだから、周りに流されていてはいけない。
最近、そう思うようになりました。
自分が気にするほど、自分は他人の目に写っていないし、
写っていたとしても障がいと人格を一緒にひっくるめて何かを決めつけてくるような人は、大人になっていくうちに徐々に減っていくことを知りました。
今、辛くて悩んでいる人へ伝えたいこと。
見た目で人を判断するような人を、
気にする必要は全くありません。
傷がついた心や身体は、傷がついていなかった状態には完全には戻らないかもしれません。
だけど、心というものは、
傷の修復のためにいろんな力が加わって、補強されて、
強くなっていきます。

私も当時は一日を生きることに精一杯でとても苦しかったけれど、
たくさんの傷を受けてきた人ほど、
とてもとても強いです。
傷ついた経験が、時を経て
強くなった心に気づくことができる日が必ず来ます。
トラブルやマイナスな出来事には、
悪い面だけではなく、良い面もひっそりとたたずんでいて
タイミングを見計らって
「Hello!!やっと気づいたね」って
顔を出してくれます。
傷つけた側は、違った形だったり、
全く同じ形で学ぶ日が必ず来ると思っています。
だから、今が辛くても、
どんなことがあっても、
生かされている命を大切にして、今を生きていってほしいなと思います。
過去のトラウマや経験に、怒りや恨みをもつのはもうやめよう、
そう思うととても気が楽になります。
私はこれまでの経験があったからこそ、
この手足でうまれてきたからこそ、
今何を大切にしなければいけないかがわかりました。
経験は宝物です。
これまでの経験がなかったら、今の私はいなかったのだから。

どんなことがあっても
何が一番重要かといえば やはり 心 なのではないか、と思います。
どんな苦労をしても
どんな障害を持って生まれてきても
心が荒んだり、ぶれたりしなければ、
寄り添って支えてくれる人もいるだろうし、
分かり合える仲間にも出会えます。
今現在は心の傷を癒す仕事をしていますが、死ねと言われていた私が、「ありがとう」と言われる人生に自分で変えることができました。
笑って生きるのも
人を恨んで生きるのも
同じ一生です。
未来は、自分が決めていくものです。
学校が本当に嫌だったら、行かなくたっていいんです。
不登校であったとしても、大検に合格すれば大学にだって行けるし、通信で学ぶことだってできます。
大人になってから学ぶことだって十分できます。

今悩みがあっても、
今度はきっと、それがあなたを輝かせる光となってくれます。
人は皆、何かを抱えて生きています。
みんな必死に乗り越えようとしています。
越えた時に初めて、あの経験は無駄じゃなかったと思えるのかもしれません。
私も、今まで支えてくれた夫へいつか恩返しができるように・・・。
家族が笑顔で暮らし続けられるように・・・。
そして悩んでいる人が少しでも減るように、
私は歩み続けます。
あなたもきっと大丈夫だから、希望を持って。
あなたは一人じゃないよ。
この文章が誰かの目に留まり、
差別や、いじめや、虐待や、人権侵害が少しでもなくなっていくきっかけになりますようにと願っています。
この記事で使用している「いびつなかたち」という言葉は、筆者(私自身)が抱える先天性四肢欠損や口唇口蓋裂、乳がん全摘といった身体の多様性、および性被害による深い心の傷を、ありのままの自己として受け入れ、表現するためにあえて用いている言葉です。
これは、身体やトラウマを「欠陥」として否定する意図は一切なく、むしろ、社会から「普通ではない」と見られがちな自身の個性を肯定的に捉え直したいという、筆者自身の願いが込められています。
読者の皆さまにおかれましても、この言葉の背景にある「自己受容」のメッセージをご理解いただければ幸いです。わたしの障害について(Youtube動画)
「どうして私だけがこんな身体なんだろう」「あの出来事のせいで、自分は汚れてしまった」——もしあなたが、生まれ持った身体的特徴(先天性四肢欠損など)や、予期せぬトラウマ(性被害など)によって、深く傷つき、孤独を感じているとしたら、最後まで読んでみてほしいなって思います。
先天性四肢欠損、口唇口蓋裂などの身体の特徴による差別や性被害、虐待の経験は、私たちから自己肯定感を奪い、「生きる意味」を見失わせることがあります。でも、その「いびつなかたち」や「傷跡」は、あなたが乗り越えてきた強さの証でもあります。
この記事では、それらの困難を抱えながらも、どうすれば心の回復を果たし、「生きててよかった」と心から思えるようになるのか、具体的なステップと、心の専門家の私が推奨する視点をご紹介します。共に、希望への一歩を踏み出しましょう。
ここでは、身体的な多様性やトラウマが心に及ぼす影響を理解し、その上で自己肯定感を育むことの重要性を解説します。
ここでいう「いびつなかたち」とは、差別ではなく、人と違って生まれた身体の多様性のことを指します。
これらの身体の多様性を持つ人々が直面するのは、身体機能の問題だけでなく、他者からの視線や心ない言葉による「スティグマ(烙印)」です。このスティグマを内面化することが、自己肯定感を著しく低下させる主な原因となります。
身体的な特徴と並び、深刻な心の傷となるのが性被害の経験です。性被害は、個人の尊厳と安全を根底から揺るがします。
性被害のトラウマ(PTSDなど)は、以下のような心理的影響を引き起こし、「生きててよかった」という感情を遠ざけます。
これらの困難を乗り越えるためには、まず「被害は自分のせいではない」と認識し、自分の心と身体に対する安全基地を再構築することが不可欠です。
心の傷の回復はマラソンと同じようなものであり、一歩一歩進む具体的な手順があります。ここでは、心理的な安全を取り戻し、自分自身を受け入れるための実践ステップを解説します。
自己回復の第一歩は、安全で安心できる環境を確保し、孤独を解消することです。
安全基地を確保した上で、次は「いびつなかたち」も含めた自分全体を愛せるようになるためのアプローチです。
私も同じ道を通ってきましたが、回復の過程では、誰もが「逆戻り」や「行き詰まり」を感じることがあります。ここでは、その乗り越え方を解説します。
多くのサバイバーが陥りがちな思考パターンや行動は、回復を停滞させてしまいます。
回復のステップを踏み続けるために、日々確認してほしいチェックリストです。
あなたが「いびつなかたち」と感じているものも、先天性四肢欠損や口唇口蓋裂という身体の個性も、失った体の一部も、性被害の深い傷跡も、すべてはあなたという唯一無二の存在を構成する要素です。
これらの経験を「不幸」と定義するのではなく、「あなただけの深い受容力と共感力の源」として再定義することが、「生きててよかった」という究極のゴールにたどり着くための鍵です。
あなたは、しあわせになるために生まれてきました。これから先の人生は、あなたの尊厳を取り戻すための旅です。あなたは一人ではありません。
【ここまで読んでくれたあなたへ】
もし今、この記事を読んで、心が少しでも動いたなら、それは回復への準備が整ったサインです。私はいつでもあなたの味方です。
<次の一歩:信頼できる人からの支援>
あなたの涙が、いつか暗闇を照らす光となりますように。
もし、一人で心の傷を抱えきれない、専門的なサポートを受けたいと感じたら、個別相談もしています。
過去の出来事で心に深く残ったトラウマや心の傷。失恋や別離、事故、暴力など、時間が経っても痛みが残る経験は誰にでもあります。「どうにかして忘れたい」「自分で心の痛みを和らげたい」と思う方も多いでしょう。私自身も虐待や性被害、いじめを経験し、自分の心の痛みや傷を自覚するまで、長い間苦しんできました。
この記事では、自力で取り組める心の整理法やトラウマ・心の傷に向き合う4つのステップをご紹介します。さらに、トラウマを克服できないと感じる場合の専門家サポートの活用法も解説します。
大切な人との死別や離婚、失恋、ペットの死などの経験は、心に深い傷を残します。こうした喪失体験は強い心理的ショックとして残り、トラウマとなることも少なくありません。
日常を奪われたことで「自分のせいでこうなったのでは?」と感じると、心の傷が悪化し、トラウマを克服できない状態になることもあります。こうした感情を否定せず、自分の痛みをまず認めることが、自力でできる心の整理や克服方法の第一歩です。
親しい人からの裏切りやいじめ、ハラスメントもトラウマの典型例です。放置すると、「トラウマを克服できない」と感じる原因になることがあります。
交通事故や災害、大病などもトラウマの原因になります。自力でトラウマを忘れる方法を探す前に、まずは出来事で生じた感情を整理することが大切です。
トラウマを忘れる方法を探しても、深い心の傷はすぐには消えません。焦らず少しずつ向き合うことが、自力で心の痛みを和らげる基本です。
怒りや悲しみを我慢すると、後で不安や落ち込みとして現れます。日記を書く、声に出して話す、創作活動で表現するなど、感情を整理する習慣を持つことが重要です。
過去の自分を責めると、過去に負った心の傷を忘れられない状態が続きます。「そのときの自分は最善を尽くした」と認めることで、心の回復力を高められます。
回復スピードは人それぞれ。周囲と比べず、昨日の自分と比べて少しでも前進できたことを喜ぶことが、自力で心の傷を癒すコツです。
日記や手紙を書く、声に出して話すことで、感情を客観的に見つめられます。自力でトラウマを和らげる方法としても有効です。
友人や家族、支援グループに話すことで孤独感が和らぎ、安心感を得られます。
睡眠、食事、運動を整えることで心の回復力が高まります。自力でトラウマ克服を目指す場合、日常生活の安定は不可欠です。
深呼吸、瞑想、自然散歩などで心を落ち着け、ストレスホルモンを減らせます。毎日の習慣にすることで効果が高まります。
絵を描く、音楽を聴く・演奏する、文章を書くなどで感情を整理できます。言葉にできない複雑な気持ちの扱いに特に役立ちます。
自力で取り組んでも心の痛みが癒えず、ふとした瞬間に思い出したり、急に涙が止まらなくなったりして日常生活に支障が出る場合は、専門家のサポートが必要です。これは、自力での回復が難しい状態であることを示す心のサインです。
カウンセラーと話すことで、安全な環境の中で心の痛みを整理でき、回復に向けた第一歩を踏み出すことができます。また、第三者の視点から、自分ひとりでは気づけなかった解決策や対処法に気づくことも可能です。カウンセリングは、トラウマや心の傷を和らげるための重要なサポートとなります。
トラウマや心の傷は、時間だけでは自然に消えることは少なく、自力だけで完全に克服するのは難しい場合があります。しかし、次のステップを踏むことで少しずつ回復に向かうことができます:
自力でも取り組める方法と専門家のサポートを併用することで、心は少しずつ軽くなり、前向きに生きる力を取り戻せます。焦らず、一歩ずつ進めていきましょう。
こんにちは、こころの傷相談室 代表のmanaです。
私は幼少期から虐待・いじめ・性被害・四肢障害・口唇口蓋裂・乳がんなど、数えきれないほどの試練を経験してきました。
今は心に傷を抱えた子どもや大人たちに、生きる希望を手渡す活動をしています。
この記事では、母の洗脳・脅迫・共依存の関係からどのように抜け出したのか、私自身の体験談を綴ります。シリーズ化して掲載しますね。
「母娘関係に苦しんでいる」「共依存かもしれない」と感じている方にとって、抜け出す方法をお伝え出来たらと思っています。
シリーズ後半には、母娘共依存チェックリストもつくりました。
ぜひチェックして、今の自分の状況を客観的に見つめてみてください。
共依存とは、相手に必要以上に依存し、自分の気持ちや意思を犠牲にしてまで相手を満たそうとする関係性を指します。特に母娘関係では、過干渉・支配・洗脳という形で現れることが多く、「母の意向に従わなければならない」という思い込みが強く刷り込まれていきます。
幼少期から受けたこうした影響は、その後の人生に深く影を落とし、自己肯定感の低下・人間関係の困難・選択の自由の喪失につながっていきます。
あなたも親の言いなりになって、自分の気持ちを抑えていませんか?
幼いころ、母はよく泣きながら私にこう言いました。
「なんで生んでしまったんだろう…」「生まなければ良かった…」
その言葉を聞くたびに、私は胸の奥が締めつけられ、
「生まれてきてごめんなさい」「生きていてごめんなさい」と心の中で繰り返す子どもになっていきました。この時から始まった私の心の傷。
母の涙と嘆きは、幼い私に
「あなたの存在価値はない」
と刷り込むには十分すぎたのです。
さらに母は、障害を持つ私にこう言いました。
「手や足を隠しなさい。見せるんじゃない」
そのたびに私は、
「私は恥ずかしい存在なんだ」
と強く信じ込むようになり、成長するほどに自分を隠す生き方を選ぶようになっていきました。
母の言葉と行動は、私の心に呪いをかけ、
「ありのままの私では愛されない」
という恐怖を植え付けていったのです。
そして日常で何かトラブルがあれば、必ずこう言われました。
「お母さんの言うことを聞かないから、そうなるのよ」
「あんたは黙って、お母さんの言う通りにしていればよかったのよ」
私は次第に、
「自分の意思を通したから失敗したんだ」
「私は自分の気持ちを出しちゃいけないんだ」
と歪んだ認知を積み重ねていきました。
その歪みに気づくこともなく…。
母は私が生まれた時から、私に何の興味もなく、私の気持ちを踏みにじり、ただ自分の思い通りにさせて満足していました。
これは自己愛性人格障害(NPD)に見られる傾向があり、心理学の領域でも指摘されている特徴と言われています。
こうした関係性の中で育った私は、知らず知らずのうちに共依存的な認知や行動パターンを身につけてしまったのです。
あなたはどうでしょうか?
私と同じように、親の言葉で自分の存在を否定された経験はありませんか?
心理学では、このような「存在の否定」や「条件付きの愛」が自己肯定感を奪い、やがて共依存の土台になると考えられています。
つまり、親からの否定の積み重ねこそが、共依存関係の始まりにつながるのです。
これは自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder, NPD)に見られる傾向であり、心理学の領域でも指摘されている特徴です。こうした関係性の中で育った私は、知らず知らずのうちに共依存的な認知や行動パターンを身につけてしまったのです。
※この内容は心理学的な情報の提供を目的としています。診断ではありません。ご自身やご家族に不調がある場合は、医療機関や公的相談窓口、専門家にご相談ください。
あなたはどうでしょうか? 親の言葉や態度によって、自分の存在を否定された経験はありませんか。
父との関係もまた、私の心に深い傷を残しました。
毎日の食事では、私の器に箸を垂直に突き刺さっていました。
その光景は今でも忘れられず、食事の時間はいつも恐怖と屈辱の時間でした。
さらに、父からの性虐待もありました。
身体を触れられるたびに「私は守られるべき存在ではない」「私には価値がない」という思いが強くなり、安心できる場所がどこにもありませんでした。
学校の音楽の授業で歌を歌っていても、父からの暴力の記憶がよみがえり、楽しむことができませんでした。
「同級生が普通に楽しんでいることが、どうして私にはできないんだろう」
そう自分を責める毎日でした。
心理学的に見ると、家庭内での暴力や性虐待は「複雑性PTSD」や「解離症状」につながる大きな要因だとされています。
安全であるはずの家庭が「恐怖の場」となると、子どもは安心感を失い、心と体の発達に深刻な影響を及ぼすのです。
そして、虐待を受けた子どもは「自分に原因がある」と考えがちです。
本当は悪いのは加害者なのに、「私がダメだから」「私が従わないから」と自責の念を抱いてしまいます。
これも共依存につながる典型的な心のメカニズムです。
学校に行っても、安心できる場所にはなりませんでした。
教室で孤立し、陰口を叩かれ、持ち物を隠される。
ただでさえ家庭での居場所を失っていた私は、学校でも起きたいじめに、「完全にひとりぼっち」になっていきました。
勇気を出して先生や親に助けを求めても、返ってくるのは「お前が悪い」「自分の非を認めなさい」という言葉ばかり。
誰も私の苦しみを理解してくれず、私はますます自分の感情を飲み込むようになりました。
家庭で虐待を受けている子どもは、学校でもいじめの標的になりやすいとされています。
「自分には価値がない」という自己認識が行動や表情に現れ、無意識に「攻撃してもいい存在」と周囲に思わせてしまうことがあるのです。
また、助けを求めても救われなかった体験は、子どもに「どうせ誰にも理解されない」「私は声をあげても無駄だ」という学習(学習性無力感)を植え付けます。
この心の傷は、大人になっても「NOと言えない」「自分の気持ちを優先できない」という他人軸的な生き方へとつながっていきます。
つづきは次回シリーズ第2弾【母娘共依存からの回復―心理学・体験談・実践ワークで人生を取り戻す】でお届けします。
私も長い年月を経て、やっと自分の人生を歩むことができるようになりました。
もし同じように苦しんでいる方がいらっしゃるなら、どうか一人で抱え込まないでください。
私がそうだったように、あなたもきっと大丈夫です。
支援を求めることは決して弱さではなく、回復への道に踏み出す一歩です。
私は、性被害・虐待・共依存を経験したカウンセラーとして、あなたの心の回復をそっと支えていきます。
安心できる場所で、あなたのペースで、
なんでもはなしてね