Youtube動画を公開しました
チャンネル登録といいねお願いします!
この投稿をInstagramで見る
フォローといいねしてね(^^)/
スレッズもやっているよ💛
私が生まれたその日。産科の医師や看護師たちは「おめでとうございます」の一言もなく無言で私を別室に運んだと母から聞いた。

私は先天性の四肢障がい・口唇裂があり、
これまで15回の手術をして、今に至ります。
手の指は中指・薬指・小指が数センチしかなく、
関節がなく曲げることのできない指もあります。
足の指も同様で短く左右の大きさが違い、
右足の一部は手術の後遺症で、痛い・痒い・熱いといった感覚がありません。
これまで、虐待やいじめ、差別。
色々なことがありました。
生まれないほうが良かったのかな
もう死にたいな
っていつも思っていました。
ずっとずっと、私が幸せになれるわけがないと思って生きてきました。
だけどそんな私は今、とても幸せに毎日暮らしています。
先天性の障がいがあっても、愛情に恵まれ、笑顔に満ちた家族と生きています。
今すごく辛かったり、悩みがある人、
人生を諦めてしまっている人がこれを読んでくれていたとしたら
どうかどうか、
希望を持ってみようと思ってほしいな、
と思い、この記事を書いています。
人生は捨てたもんじゃないよ。
簡単にあきらめるもんじゃない。
負けないでと私はみんなに伝えたい。
私の言葉が、あなたに少しでも、
届きますように。
先天性の四肢障がい・口唇裂で生まれた私の状況を
父が祖母に説明したとき、祖母は
「それなら医者に頼んで殺してもらえ」
と言ったそうで。
このやり取りを私はお盆と正月に毎回祖母から、親戚が大勢いる中で笑い話として聞かされました。
いつもいつもその度に泣きたくなる気持ちを殺して、
「そう思うのも仕方がないことだったよね」
って本心とは逆の返事をしてやりすごしました。
祖母はいつも、
「お前のお母さんはお前が生まれたことでお前のせいで大変だったんだからな、ちゃんと親孝行せえよ」
って言いました。
…でもその母は、私の面倒はほとんどみてくれない人でした。
母がやらないので、昔から私の世話は全て父がしてくれていました。
食事の用意、通院の付き添い、お風呂…。
いつもテレビの前で横になり寝ていた母と、
公園に行ったことは一度もありませんでした。

「なんで生んでしまったんだろう」
「生まなければ良かった」
ずっと、そう言われ続けて生きてきました。
一度だけ、
母が「泣かなかったら欲しいものを買ってあげるね」って
予防接種のときに言ってくれたことがありました。
私はとっても嬉しくて、痛くても我慢して泣かずに予防接種を受けました。
そうしたら、黄色いボールを買ってくれて。
私の宝物でした。
でもこのときだけ黄色いボールを、なんで買ってくれたの?
と以前に聞いた時、
「泣かれるとみんなが振り向いて
手がないことを気づかれるから」
という返事が返ってきました。
母は私の手をずっと隠したがっていたんです。
幼少期は世間の目を気にした母から、外で遊ぶことや友だちを作ることは禁止され、家の中で一人で遊んでいました。

「(障がいのある)手を隠しなさい、足を隠しなさい、
手袋や靴下を履いていなさい」
とずっと言われ続けていたので、
私は恥ずかしい存在なんだ
隠さないといけない存在なんだ
という認識が幼い頃からずっとありました。
さらに私の世話を押し付けられた父から、
性虐待と暴力が始まりました。
父が作る食事。
毎日私に渡すごはんには、お箸が垂直に刺さっていました。
小学校に入ると、辛い場所が家以外にもうひとつ増えたように感じました。
手足のことが原因で、
グループから外されたり、席が隣になると嫌がられました。
じゃんけんで私の手ではグーしか出せないことをみんな知っているから、
毎回負けてゴミ当番は毎日のこと。臭い臭いと指をさされました。
音楽で「幸せなら手をたたこう」を歌う時、
母がいつもいない家で、父に殴られ蹴られ、
怒鳴られている自分の姿が頭に浮かびました。
さらに機嫌のいいときは、私の身体を触る父。
ちっとも幸せじゃない、なのに歌わなきゃいけない。
幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう
下を向きながら歌ったことを覚えています。

私はその後、小学校時代の子が誰もいない中学校に入学しました。
知らない人しかいない学校。
つまり、だれも私の障がいのことは知りません。
親から「障がいを隠しなさい」と言われて育てられた私は、
いつも手をグーにして、制服で隠して過ごしました。
ある日、「なんでいつも手を隠してるの?」と隣のクラスの友だちに聞かれました。
私にとってその子は大切な友だちだとおもっていたから、
「生まれつきなんだ」って正直に話をすると、
「そうなんだー」という答えが返ってきて、その話は終わり。
でも次の日から、私の学校生活が一変しました。
朝登校すると、仲良くお弁当を食べていたグループの子から、
「今日は一緒に食べない」と突然言われました。
その日から毎日、中学3年間。
みんながグループごとに丸くなったり、ワイワイ楽しそうにしているなかで
1人でお弁当を食べました。
先生に相談したこともあったのですが、
「もう小学生じゃないんだから、自分でなんとかしろ」って言われて、結局助けてはもらえませんでした。
ダンスの授業で「靴下を履かせてほしい」と伝えても受け入れてはもらえず、指を刺され足を覗き込まれて笑われました。
死ねと言われたり、ものを隠されたり。
机に花瓶が置いてあったり、注文していないバラ100本が届いたりしました。

お弁当を食べるのも1人。
教室移動も1人。
家に帰れば、育児放棄の母と暴力的な父。
この頃、私の居場所はどこにもありませんでした。
全ての期待はなくなり、
私は1人でも大丈夫、と自分自身に思い込ませることでなんとか気持ちを保っていました。
そんな学校生活を送っていた私の成績はどんどん下がっていきました。
今思えば、授業中勉強が頭に入る心理状態ではないし、成績が下がるのは当たり前です。
そんな私に母は、
「あんたは何もできない子なんだから。ちゃんと生まれもしなかったし」
って言いました。
この言葉を言われた時、私の心がぐちゃっと潰れた音がしました。
その言葉が私が生きてきた中で一番傷ついた言葉で、
私の中にあったかすかな光も、一瞬でその時に消えました。
中学校から高校に上がるとき、私はもう二度といじめや陰口、いやがらせは受けたくない、そう思いました。
私がいじめにあう原因は何か?その時考えました。
1、障害
2、暗さ
3、体型
4、頭の悪さ
箇条書きにして考えた原因を、ひとつずつ潰していこうと思いました。
1番の障がいは変えることができないので、2・3・4を高校入学までに変えようと決意。

1ヶ月で断食と運動をして8キロ痩せて、何を試着してもすんなりと服がはいるようになりました。
中学の勉強を全て復習し、髪型も変えまるで別人の姿で高校の入学式を迎えると、今まで話しかけてこなかった中学校のときからの友だちが、「痩せたね、痩せたね」って話しかけてきました。
初めて努力が報われたようで、とても嬉しかったことを覚えています。
中学の時はビリに近かった成績も、学年上位4位まで上がりました。
テレビで面白いことがあれば、
学校で真似をして、みんなを笑わせて。
安室奈美恵や相川七瀬の曲を一生懸命練習して、
友達と毎日カラオケに行った。
網タイツ履いて出かけたり、プリクラを撮ったり。
おしゃれをすること、遊ぶこと。
学校が楽しい、友達が楽しいと知ったのは高校からでした。
手足のことは気づかれていたと思うけど、この時もう指摘する友だちはひとりもいませんでした。
とはいえ、その後も全てがうまくいっていたわけではなくて。
突然始まった、母からの性虐待。
他人からの性被害もありました。
さらに父親からの虐待のフラッシュバックにも苦しみ、せっかく就職した仕事に泣きながら通勤した日々。
でも、その心の痛みを理解して支えてくれた人がいました。
それが今の夫でした。

夫と出会って、人に愛されることの幸せを初めて知りました。
結婚後は2人の子宝にも恵まれました。
誰からも強制されず、誰からも怒鳴られない、4人の家族。
支え合い、助け合い、笑顔がいっぱい。
本物の愛を夫と子どもたちから教えてもらいました。

これまで色々なことを乗り越えてきた私は、
人生は一度きりだから、周りに流されていてはいけない。
最近、そう思うようになりました。
自分が気にするほど、自分は他人の目に写っていないし、
写っていたとしても障がいと人格を一緒にひっくるめて何かを決めつけてくるような人は、大人になっていくうちに徐々に減っていくことを知りました。
今、辛くて悩んでいる人へ伝えたいこと。
見た目で人を判断するような人を、
気にする必要は全くありません。
傷がついた心や身体は、傷がついていなかった状態には完全には戻らないかもしれません。
だけど、心というものは、
傷の修復のためにいろんな力が加わって、補強されて、
強くなっていきます。

私も当時は一日を生きることに精一杯でとても苦しかったけれど、
たくさんの傷を受けてきた人ほど、
とてもとても強いです。
傷ついた経験が、時を経て
強くなった心に気づくことができる日が必ず来ます。
トラブルやマイナスな出来事には、
悪い面だけではなく、良い面もひっそりとたたずんでいて
タイミングを見計らって
「Hello!!やっと気づいたね」って
顔を出してくれます。
傷つけた側は、違った形だったり、
全く同じ形で学ぶ日が必ず来ると思っています。
だから、今が辛くても、
どんなことがあっても、
生かされている命を大切にして、今を生きていってほしいなと思います。
過去のトラウマや経験に、怒りや恨みをもつのはもうやめよう、
そう思うととても気が楽になります。
私はこれまでの経験があったからこそ、
この手足でうまれてきたからこそ、
今何を大切にしなければいけないかがわかりました。
経験は宝物です。
これまでの経験がなかったら、今の私はいなかったのだから。

どんなことがあっても
何が一番重要かといえば やはり 心 なのではないか、と思います。
どんな苦労をしても
どんな障害を持って生まれてきても
心が荒んだり、ぶれたりしなければ、
寄り添って支えてくれる人もいるだろうし、
分かり合える仲間にも出会えます。
今現在は心の傷を癒す仕事をしていますが、死ねと言われていた私が、「ありがとう」と言われる人生に自分で変えることができました。
笑って生きるのも
人を恨んで生きるのも
同じ一生です。
未来は、自分が決めていくものです。
学校が本当に嫌だったら、行かなくたっていいんです。
不登校であったとしても、大検に合格すれば大学にだって行けるし、通信で学ぶことだってできます。
大人になってから学ぶことだって十分できます。

今悩みがあっても、
今度はきっと、それがあなたを輝かせる光となってくれます。
人は皆、何かを抱えて生きています。
みんな必死に乗り越えようとしています。
越えた時に初めて、あの経験は無駄じゃなかったと思えるのかもしれません。
私も、今まで支えてくれた夫へいつか恩返しができるように・・・。
家族が笑顔で暮らし続けられるように・・・。
そして悩んでいる人が少しでも減るように、
私は歩み続けます。
あなたもきっと大丈夫だから、希望を持って。
あなたは一人じゃないよ。
この文章が誰かの目に留まり、
差別や、いじめや、虐待や、人権侵害が少しでもなくなっていくきっかけになりますようにと願っています。
10月1日、無事に誕生日を迎えられました!
乳がんになってから、3回目の誕生日を迎えられるなんて、思っていなかったので、こうして今、生きていられることが、心からうれしい。
私は、日常的な母からの虐待、父からの性被害、四肢欠損、乳がんなど、本当に生まれた瞬間から色々なことがありました。
「複合的サバイバー」なんて呼ばれたりもしますが、過去は悲しみや憎しみに満ちていて、「どうして私ばかり?」とずっと苦しんでいました。
そんな中での乳がんの経験は、私の人生観をガラッと変える、大きなきっかけでした。今回は、その変化についてお話しします。


夫は私のために午前中仕事をめっちゃ頑張って、午後半休とって帰宅。
車に乗って二人でランチへ
和牛ハンバーグと珈琲

おいしい


夫と出会ってからもう20年か・・・ってハンバーグを食べながら夫婦で話してた。
“経験は宝物”
今思えば、
過去の苦しみはぜーんぶ未来のしあわせを築くための「土台」だ。
どうしてそう思えるのか?
それは、X(旧Twitter)を通じて多くのサバイバー仲間と出会えたから。
苦しくて仕方なかった過去の経験苦しかった経験は、私たちを繋ぐ共通の架け橋となった。
どんどん仲間が増えて「生きててよかった!」と心から思えるようになっていった。
悲しみも、憎しみも、傷つける人への念も、持ち続けなくていい。
それらの痛みの経験を教訓と力に変えて、重い感情は捨て去り、思いっきり飛躍したらいい。
こう思えるまでに20年以上かかってしまったけど、
乳がんになったからこそ、考え方が変わったんだ。
私が知らないところで、プレゼントを選んで、
包装して、絵まで描いてくれた娘。

バイトの帰りにアイスを買ってきてくれた息子。

私のために忙しいのに半休してハンバーグをご馳走してくれた夫。
家族写真のためにおやつで釣られている愛犬。

ありふれた当たり前の日常が、ありがたくてしあわせなんだよね。
この記事で使用している「いびつなかたち」という言葉は、筆者(私自身)が抱える先天性四肢欠損や口唇口蓋裂、乳がん全摘といった身体の多様性、および性被害による深い心の傷を、ありのままの自己として受け入れ、表現するためにあえて用いている言葉です。
これは、身体やトラウマを「欠陥」として否定する意図は一切なく、むしろ、社会から「普通ではない」と見られがちな自身の個性を肯定的に捉え直したいという、筆者自身の願いが込められています。
読者の皆さまにおかれましても、この言葉の背景にある「自己受容」のメッセージをご理解いただければ幸いです。わたしの障害について(Youtube動画)
「どうして私だけがこんな身体なんだろう」「あの出来事のせいで、自分は汚れてしまった」——もしあなたが、生まれ持った身体的特徴(先天性四肢欠損など)や、予期せぬトラウマ(性被害など)によって、深く傷つき、孤独を感じているとしたら、最後まで読んでみてほしいなって思います。
先天性四肢欠損、口唇口蓋裂などの身体の特徴による差別や性被害、虐待の経験は、私たちから自己肯定感を奪い、「生きる意味」を見失わせることがあります。でも、その「いびつなかたち」や「傷跡」は、あなたが乗り越えてきた強さの証でもあります。
この記事では、それらの困難を抱えながらも、どうすれば心の回復を果たし、「生きててよかった」と心から思えるようになるのか、具体的なステップと、心の専門家の私が推奨する視点をご紹介します。共に、希望への一歩を踏み出しましょう。
ここでは、身体的な多様性やトラウマが心に及ぼす影響を理解し、その上で自己肯定感を育むことの重要性を解説します。
ここでいう「いびつなかたち」とは、差別ではなく、人と違って生まれた身体の多様性のことを指します。
これらの身体の多様性を持つ人々が直面するのは、身体機能の問題だけでなく、他者からの視線や心ない言葉による「スティグマ(烙印)」です。このスティグマを内面化することが、自己肯定感を著しく低下させる主な原因となります。
身体的な特徴と並び、深刻な心の傷となるのが性被害の経験です。性被害は、個人の尊厳と安全を根底から揺るがします。
性被害のトラウマ(PTSDなど)は、以下のような心理的影響を引き起こし、「生きててよかった」という感情を遠ざけます。
これらの困難を乗り越えるためには、まず「被害は自分のせいではない」と認識し、自分の心と身体に対する安全基地を再構築することが不可欠です。
心の傷の回復はマラソンと同じようなものであり、一歩一歩進む具体的な手順があります。ここでは、心理的な安全を取り戻し、自分自身を受け入れるための実践ステップを解説します。
自己回復の第一歩は、安全で安心できる環境を確保し、孤独を解消することです。
安全基地を確保した上で、次は「いびつなかたち」も含めた自分全体を愛せるようになるためのアプローチです。
私も同じ道を通ってきましたが、回復の過程では、誰もが「逆戻り」や「行き詰まり」を感じることがあります。ここでは、その乗り越え方を解説します。
多くのサバイバーが陥りがちな思考パターンや行動は、回復を停滞させてしまいます。
回復のステップを踏み続けるために、日々確認してほしいチェックリストです。
あなたが「いびつなかたち」と感じているものも、先天性四肢欠損や口唇口蓋裂という身体の個性も、失った体の一部も、性被害の深い傷跡も、すべてはあなたという唯一無二の存在を構成する要素です。
これらの経験を「不幸」と定義するのではなく、「あなただけの深い受容力と共感力の源」として再定義することが、「生きててよかった」という究極のゴールにたどり着くための鍵です。
あなたは、しあわせになるために生まれてきました。これから先の人生は、あなたの尊厳を取り戻すための旅です。あなたは一人ではありません。
【ここまで読んでくれたあなたへ】
もし今、この記事を読んで、心が少しでも動いたなら、それは回復への準備が整ったサインです。私はいつでもあなたの味方です。
<次の一歩:信頼できる人からの支援>
あなたの涙が、いつか暗闇を照らす光となりますように。
もし、一人で心の傷を抱えきれない、専門的なサポートを受けたいと感じたら、個別相談もしています。